79.能勢町妙見山奥ノ院今谷道丁石一覧

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2019年4月調査、2022年12月二回目調査。
 「能勢町妙見山奥ノ院本道丁石一覧」はこちら
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写真fimg0119 写真iimg8687 写真iimg8861
【摂津名所図会『妙見山』 【22丁丁石の仮起点の 【現在(2022)社務所前より
 北西、野間中方面より  鳥居を北に望む  本堂方向(北)を望む
 南東を見たものと思われる】  奥、奥ノ院へ向う】  上に奥ノ院】

目次
 1.参道概要
 2.今谷道参道
 3.丁石全般
 4.丁石一覧
 5.丁石詳細
 6.地図

1.【参道概要】
 『能勢町史』の「能勢の町石一覧表」に妙見山奥ノ院の「本道」2基と「今谷道」15基が紹介されており、これを
 参考に訪ねてみた。
  妙見山は、国立国会図書館デジタルアーカイブの『攝津名所圖會』. [12]のコマ番号51に絵、解説がコマ番号46に載り、
 「野間村妙見山の峰にあり。麓より坂路十六町、一町毎に標石あり。渓に石橋を架す。左右に石燈爐十六基、石階
 (いしだん)百三十二段。本尊妙見菩薩、長二尺五寸許、右手に劔を蓋持。領主能勢侯これを守る。行程、京師より
 九里、大坂より八里。」と詳しいが、奥ノ院に関しては触れられていない。
  妙見山より奥ノ院を目指す場合には、本瀧道参道を下り、野間大原を経由し、この今谷道を辿る事になる。南北に
 ほぼ一直線の道である。残存丁石から妙見山本殿(開運殿)を起点にして残存距離を示す形式の丁石と成っている。
 参拝者には段々数が減り、歩いていても安心感と達成感があり丁石本来の役目を果たしている。

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2.【今谷道参道】
  上にも述べたように当参道の起点は妙見山本殿となろうが、ここには起点丁石を置く余裕は無いと思われ1丁程北
 辺りに建つ「本滝道下山口の奥ノ院道標」を起点としてみます。但し、この明治の作の道標と途中に有る丁石とは銘
 や意匠が異なっており、同時に建てられたものでは無いようです。依って厳密に1丁間隔でない現象も想定しておく
 必要があります。尚、終点は「一丁丁石」から距離を合わせて、奥ノ院の手前、社(寺)務所前としました。一丁の後
 に分岐が有り、北西(右)へ近道(20m程か)があるが、左(南側)を参道としました。
  国土地理院の地図でトレースすると4,521m(41.5丁)と思われます。途中、本瀧寺の階段下部の沢を渡る辺りが
 地形図に載ってないが「大阪環状自然歩道」と思われる経路としました。又、水平距離で有る為実際よりは短くなっ
 ているはずですが起点の「45町」とは少し違いすぎます。
  『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では、本瀧寺から「野間中今谷道入口(近道表示)の道標」まで下って来て、
 更に西、野間中まで下った後、旧能勢街道を北上し地黄、地黄から再び東へ折れて真如寺を過ぎ奥ノ院への約4qを、
 本道としている。この説が受け入れにくい点として、起点の道標にある「大阪大乘結社」と同じ銘を持つ丁石三基の
 全てがこの今谷道上に有り「本道」には無い事と、「本道」を経由すると遠回り(22丁石から4q=37丁)になり丁数
 も一致しなくなる点です。どうしたものか。
  明治の地図で近道の「野間中今谷道入口道標」から「野間大原206の道標」迄を太い道(聯路等)で辿ると1,130m
 となり近道545mに比べ、585m(5.4丁)長くなる。これを適用すると、5,106m(47丁)となり逆に長くなる。真偽は
 分かりませんが「近道」「本道」と区別するために、「元々道」と名付けてみます。
 尚、元々道の最も西よりから240m離れた三ツ辻の「野間中408の道標」の北側の大きな常夜灯の南に「妙見奥ノ院へ
 八丁」とする丁石があり、これも混乱を大きくするが移設されたものと考える。
  取り敢えず、近道である「大阪環状自然歩道」で奥ノ院に向かいます。一部写真撮影日が旧い物を含む。
 この経路を採ると、「今谷道入口の道標」の横にある「奥ノ院へ廿二丁(2,398m)」からは2,796m(25.6丁)となり、
 道標とすればよしとしてもいいが、丁石の精度としては不可であろう。この石には建立の経緯が書かれており、鳥居
 (大正九年7月、額は「奥ノ院妙見大菩薩」)とセットで立っている必要が有る為、移設は考えにくい。
  45丁からの考察は止める事にし、取り敢えず22丁を起点に見ていきます。
 22丁からの距離が地図上で2,796m(25.7丁)となり、既に不足しているにも関わらず、明治の地図をでは17丁と13丁
 の間、「野間大原野」と書かれている部分が直線で結ばれていないようにようにも見え、一度東に迂回する経路であっ
 たととすると、迂回路270m-現行70m=差200m(1.8丁)程と思われ、22丁からは余計に一致しなくなる。この道は
 現在無く、大正15年発行地図では直線状に表現されており現在の道と同じと想像できほぼ直線で進む事にします。
  尚、下記に示す地図上距離は、国土地理院地図の水平距離を使い、「計測…m」はサイクルコンピュータによる
 実測値とします。自転車の乗り入れが出来ない部分は歩測に依ります。実測値は10m単位でしか測れず、地理院地図
 の水平距離よりも大きくなります。真っすぐ走れない、調査点での駐輪時移動等によると思うが経験値として舗装路
 で5,6%程度長くなるようです。今回は乗車して通過出来ない部分もあり、誤差のバラつきが出ています。参考程度に
 見てください。
  又、現存する丁石に出会った後次の丁石が見つからない時は、その現存石から1丁(110m)先を探す方が、よいで
 あろうと考え、「補正」と表現しています。本来ならばあくまでも、22丁丁石から1丁単位に刻むべきですが、こ
 の参道では無理だと判断しました。
  では出発します。

写真iimg8238 写真iimg8208 写真iimg8191 写真iimg8081
【1.開運(本)殿を南東に望む 【2.境内平坦地の端の 【3.妙見山の境内域を出て 【4.本瀧寺の瀧を南に望む
 天明七(1787)年再建  左奥之院迄四十五町  本瀧道の丁石が始まる  境内南東端にあり
 明治28(1895)年改修】  の道標を北西に見る】  十二丁木柵の向う倒置】  参道からは見えない】

写真iimg8282 写真iimg8293 写真fimg3664 写真iimg8384
【5.神力橋か?を渡り 【6.今の本瀧道入口か 【7.近道道標を北西に望む 【8.今谷道奥ノ院参道入口の
 南を振り返る  府道4号への合流点  府道を別れ鳥居の道へ  廿二丁石を北西に見る、
 階段は126段あった】  この後は府道を歩く】  左、府道は元々道へ】  此処を0mとし計測開始】

写真iimg8419 写真iimg8306 写真iimg8427 写真iimg8430
【9.廿一丁辺を北東に見る 【10.廿一丁過ぎの近道中 【11.廿丁辺を北に見る 【12.十九丁辺りを北東に見る
 110mの少し先右側より  唯一の分岐を南に振返る  22丁から220m地点  330m地点、整備された
 崖崩れで道巾狭小】  右に自然歩道案内板】  北東へ大きく曲がる】  らしく道幅が広い】

写真iimg8434 写真iimg8438 写真iimg8299 写真iimg8445
【13.十八丁辺りを北東に 【14.十七丁545m辺りを 【15.野間大原206道標を 【16.野間大原206道標西面
 見る、440m地点にも  北に見る、15m先四辻  北に見る、左から元々道  560m地点、「左奥ノ院」
 丁石は見当たらない】  に奥ノ院への道標】  近道からは直進】  とし、丁数の記述なし】

写真fimg3732 写真iimg8471 写真iimg8482 写真iimg8490
【17.十七丁石を北に見る 【18.補正後の十六丁地点 【19.同十五丁を北に見る 【20.同十四丁を北に見る
 計測650m,地図600m地点  (730m)を東に見る  計測840m地点は  計測950m辺りになる
 50mの誤差が出ている】  丁石はなし】  五つ辻を右折後】  左囲い裏なら見落としも】

写真iimg8492 写真iimg8496 写真iimg8522 写真iimg8543
【21.補正十三丁辺りを 【22.十三丁を北東に見る 【23.十二丁を北に見る 【24.補正十一丁1380mを
 北東に見る、無し  22丁から地図1140m地点  十三丁から120m地点  北に見る。十三丁から
 が、この先1丁弱に?】  誤差が180mにもなる】  少し長い、移設か】  二丁となる距離】

写真iimg8546 写真iimg8554 写真iimg8570 写真iimg8585
【25.野間神社から犬甘野への 【26.十丁を北に見る 【27.突然の七丁を北に見る 【28.九丁を北に見る
 道との四辻を北に見る  22丁の1580m点、誤差270m  22丁から1670m地点  22丁から1700m地点
 1470m地点、北奥ノ院へ】  13丁から420m(4丁弱)】  道外を向く、誤移設か】  10丁から120m(1丁強)】

写真iimg8605 写真iimg8722 写真iimg8611 写真iimg8614
【25.九丁から想定した 【26.管理棟前三ツ辻を北 【27.七丁の元位置辺り 【28.六丁辺りを北に見る
 八丁の元位置1810m  に見る、22丁から1890m  を北に見る10丁から340m  22丁から2000m地点
 辺りを、北に見る】  左へ奥ノ院道】  (約3丁)地点の広い道】  10丁から420m、4丁弱】

写真iimg8616 写真iimg8620 写真iimg8624 写真iimg8636
【29.五丁辺りを北に見る 【30.木橋分岐点の道標を 【31.同左道標の東面 【32.五丁を北東に見る
 22丁から2110m地点、  北に見る、2200m地点  「右、奥ノ院妙見道」  22丁から2320m
 10丁から5丁(530m)  地図2,132m地点  裏面は妙見山の案内  地図2,222m地点
 には見つからない】  左は地黄、真如寺へ】  何れも丁数は無い】  10丁から7丁弱離れる】

写真iimg8737 写真iimg8756 写真iimg8783 写真fimg5180
【33.四丁を北に見る 【21.三丁を北に見る 【22.二丁を北東に見る 【23.一丁丁石手前鞍部の
 後ろの車止め柵から  左手(谷側)に立つ  九十九折れ地点  三ツ辻の道標二基を
 計測2410+歩測20m  4丁から歩測100m  3丁から歩測126m  上から見下ろす
 地図2,322m地点】  地図2,453m地点】  地図2,558m地点】  二丁から歩測80m地点】

写真fimg5158 写真fimg5170 写真iimg8828 写真iimg8912
【24.下側の道標を東に見る 【25.上部の道標を北に見る 【26.一丁を西に見る 【27.一丁後の、歩測30m
 妙見山への丁数はなく  「左奥ノ院妙見道」と  参道は左に登る  の分岐を西に見る
 右能勢妙見道とある  奥ノ院への案内  2丁から歩測120m  参道は左、真っすぐ
 三ツ辻直前右手】  三ツ辻左折後右手】  地図2,681m地点】  奥は近道70mでゴール】

写真fimg5186 写真iimg8858
【28.奥ノ院階段下を東に 【29.奥ノ院、0丁到達点の境内
 見る、左上に奥ノ院  南端、左に社務所、右は近道
 奥(東)今谷道下り】  本宮?は更に北へ階段を登る】

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3.【丁石全般】
 1.妙見山本殿近くの「奥之院迄四十五町」の道標を除き、全て山型角柱で意匠は統一されている。表記方法は中央に
  残り距離を書き、「二十二丁」を除き下部の左右に住所、氏名を刻んでいる。
   この中で22丁と1丁の丁石に少し変化が見られ、最初と最後が特別である丁石の定石に当てはまるとすると、
  一連の物として同時に建てられた事になり、作成時期は22丁にある「大正九年五月」と出来る。但し、現在大き
  く移設されている「八丁」一基だけが摩耗が多いように見受けられるのが気に掛かる。移設先の交通量が多い為に
  排ガス等の影響でそう見えるのかも知れない。
   又、出現順序がおかしく移設ミスと思う「七丁」の住所が大阪市内でなく「和歌山市」となっているのも特徴と
  いえる。
   22丁から7丁(9丁の方が奥ノ院に近い)丁石は、丁石の精度逸脱している。
  五丁丁石以降は、ほぼ1丁ごとに残っており、丁石の機能は十分果たしているが、一丁の向きが気になる。
 2.奥ノ院近道問題も解決していないのだが、現在の地図上をトレースする限り、22丁丁石を起点とした距離2,800m
  (25.7丁)に対して、現実の丁石が22では余りにも誤差が大きく、奇異に感じる。
   手元にある明治26年の測量地図には、野間大原の集落中を南から北に通る道が、西の野間神社から来て東の犬甘野
  或いは牧へ出る道に出会って以降は点線となり、現木橋へ西の地黄南中町から登って来る破線(小径)の道に合流し、
  奥ノ院へ向かっている様に見えます。道筋は現在とほぼ同じで、谷筋は大きく付け替えられたようには見えません。
 3.施主の住所と「より」の表記に関して、おもしろい点があります。
  「発起人」以外は「施主」となるのであろうが、その人たちが書いた住所に「大坂」「大阪」が混在する。よくあ
  る道標の解説に「大坂」とあれば古い(明治以前)とする根拠を打ち砕く良い例ではないかと思う。又、大阪市に
  「市」を付けたり付けなかったり、大阪市民は話し言葉では「市」を付けない事が多いと思うが、書く時もその様
  であったのでしょう。
   次に「是より」の表記が「より」、「ゟ」(平仮名続け字を一文字)、「ヨリ」、「従」と多彩に使われている
  のも楽しい。一般的に中間に置かれる丁石には目的地が省略され丁数のみが書かれ、その為丁石が小さくて済むの
  であるが、施主が複数でエコひいき無く同一の大きさにすると「是より奥ノ院へ」を付けないと間延びする為か。
  理由はともあれ、書き手に任せるあたり大阪らしい感じがします。
 4.大きな移設と思われるものが、八丁丁石で道筋自体から外れていると思われる。
  又、七丁が出現順番を間違えて出てくるので、九、八丁より北にあったとすると3丁程動いていると考えられる。
  次に、十二丁が十三丁を起点に半町ほど北に立っており丁石としての誤差の範囲を超える。これは現在十二丁地点
  辺りが「犬の保護施設」の駐車場の様になっており、これを避けて北に移したものと思われる。安易に移したため
  か基部が完全に埋っておらず露出している状態です。
 5.今谷道全体を見ると、大きく三つに分かれそうで、前半部分22丁と17丁、中盤13丁から9丁(8,7を除く)、
  後半部の5丁から1丁とすると、各グループ間ではほぼ一丁毎に配置されているように見えるが、各グループ間に
  約1丁の距離が置かれている状況にある。この様なパターンは初めてで、建立の時期が異なっている為か、中盤部
  が現在より短い経路であった等も考える必要がある。後者と想像すれば、野間大原集落内が直線状で、中盤の起点
  の9丁が今谷池建設により南に移動させられ三分された、とする考えはどうであろうか。
 6.全工程中に道標五基が存在しますが、丁石とは別の建設グループと思われます。

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4.【丁石一覧】
 注)七丁丁石が九丁より前に置かれ、八丁は九丁の次とした。道標を加えています。距離は地理院地図より。
能勢町妙見山今谷道丁石一覧
丁数北緯東経紀銘世話人紀年形状大きさ
p
道の
左右
地図上
の距離
(m)
同左
換算
丁数
表記
誤差
丁数
4534.929472135.467683  本 瀧迄十丁
西 左奥之院迄四十五町
  神力橋迄十五丁
大阪大乘結社中明治三十年七月尖頭型角柱100x16x15.5
(頂高11p)
4,52141.5-3.5
道標34.941382135.464502是ヨリ
左 奥ノ院妙見山近道
施主 元 初日講 岡部新太郎尖頭型角柱74x18x18p
(頂高3p)

山側
2,796--
2234.941336135.464527従是奥ノ院妙見山 廿二丁鳥居敷地十坪
大原彦四郎氏
外一名ヨリ買受入
奥ノ院へ納ム
発起人中村庄七外一同
大正九年三月山型角柱88x23x17
(頂高7p)

山側
2,79625.73.7
道標34.944911135.467189左 奥ノ院道施主 岡部新太郎尖頭型角柱49x12x12(頂高3p)
山側
2,249--
1734.945353135.467004是より奥ノ院へ 十七丁大坂東区横堀三丁目
渡辺音次郎
山型角柱77x24x1
(頂高7p)

谷側
2,19620.13.1
1334.94875135.470221是より奥ノ院へ 十三丁大坂西区立売堀北通
西野藤(松)
山型角柱56x23x14
(頂高7p)

山側
1,65615.22.2
1234.94985135.470918是より奥ノ院へ 十二丁大坂西区阿波座四番町
三輪重太郎
山型角柱70x25x14
(頂高6p)

谷側
1,54214.12.1
1034.951717135.470689是ヨリ奥ノ院へ 十丁大坂西区四メ島丁
戸田(与)
山型角柱59x20.5x13
(頂高6p)

谷側
1,28411.81.8
734.95236135.471105是ヨリ奥ノ院へ 七丁和歌山市万町
日方吉之助
山型角柱70x22x11
(頂高7p)

谷側
1,194114
934.952591135.471105是より奥ノ院へ 九丁大坂市西区土佐堀通二丁目
田中金次郎
 山型角柱73x23x12
(頂高7p)

山側
1,16410.71.7
834.944854135.458426是より奥ノ院へ 八丁大阪東区南久太郎町
網野松之助
山型角柱65x23x16
(頂高7p)
 ---
道標34.956775135.470296右 奥ノ院妙見道大阪大乘結社中尖頭型角柱61x16x13p
(頂高6p)

谷側
1,050--
534.957295135.471457是より奥ノ院へ 五丁大坂阿波座四番町
永谷嘉…
山型角柱60x21.5x11.5
(頂高7p)

山側
5745.30.3
434.958098135.472054是ヨリ奥ノ院へ 四丁大坂東区南久太郎町
金山精一郎
山型角柱68x22x12
(頂高7p)

谷側
4744.30.3
334.958757135.472458是ヨリ奥ノ院へ 三丁大坂阿波座四番町
川島菊松
山型角柱72x23x16p
(頂高7p)

谷側
3433.10.1
234.959191135.473403是より奥ノ院へ 二丁大坂阿波座三番町
魚忠事 斧田宮次郎
山型角柱71x25x16p
(頂高8p)

山側
2382.20.2
道標34.959802135.474074右 能勢妙見道大阪大乘結社中尖頭型角柱60x16x15p
(頂高5p)

山側
155--
道標34.959864135.474032左 奥ノ院妙見道大阪大乘結社中尖頭型角柱76x16x13p
(頂高5p)

鞍部
146--
134.959995135.473792従是奥ノ院へ 一丁大阪市西区阿波座四番町
発起人 三輪八十次郎
山型角柱81x20x16p
(頂高6p)

尾根
1151.10.1
034.960520135.473192階段上、社務所前広場0--

注)「大きさ」は基礎部を含まない地表高x巾x奥行。

写真fimg5049 写真fimg3670 写真fimg3679
【1.道標の四十五丁】本瀧道へ 【2.近道道標】 【3.廿二丁】仮起点

写真fimg3718 写真fimg3733 写真iimg8500
【4.大原206道標】 【5.十七丁】 【6.十三丁】

写真iimg8529 写真iimg8557 写真iimg8587
【7.十二丁】 【8.十丁】 【9.九丁】

写真iimg8324 写真iimg8573 写真fimg5114
【10.八丁】移設 【11.七丁】順番入替 【12.木橋分岐の道標】

写真iimg8729 写真iimg8740 写真iimg8759
【13.五丁】 【14.四丁】 【15.三丁】

写真iimg8789 写真fimg5165 写真iimg8833
【16.二丁】 【17.峠の奥ノ院道標】 【18.一丁】

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5.【丁石詳細】
 一部道標も載せる。


写真fimg5049
四十五町、西面 道標詳細はこちら
┌――――――――――――――――――┐
│           本 瀧迄十丁 │
│西 左奥之院迄四十五町       │
│           神力橋迄十五丁│
└――――――――――――――――――┘
(「迄」は「占」にシンニュウと彫る)

写真fimg5052
四十五町、南面
┌――――――――――――――――――┐
│   大              │
│南    大乘結社中        │
│   阪              │
└――――――――――――――――――┘

写真fimg5054
四十五町、東面
┌――――――――――――――――――┐
│東                 │
└――――――――――――――――――┘

写真fimg5055
四十五町、北面
┌――――――――――――――――――┐
│北  明治三十年七月建之      │
└――――――――――――――――――┘
(「東西南北」は各面の上角錐部に記す)



写真fimg3670
今谷道入口(起点?)近道道標、南面 道標詳細はこちら
┌―――――――――――――――┐
│是ヨリ            │
│左 奥ノ院妙見山近道     │
└―――――――――――――――┘

写真fimg3671
今谷道入口(起点?)近道道標、西面
┌―――――――――――――――┐
│施主 元 初日講 岡部新太郎 │
└―――――――――――――――┘
(「元」は直径 8.5pの○で囲む)



写真fimg3679
廿二丁、南面
┌―――――――――――――――――――┐
│従是奥ノ院妙見山 廿二丁       │
└―――――――――――――――――――┘

写真iimg8309
廿二丁、北面
┌―――――――――――――――――――┐
│       大原彦四郎氏      │
│鳥居敷地拾坪 外一名ヨリ買受入    │
│       奥ノ院へ納ム      │
│   発起人 中村庄七外一同     │
└―――――――――――――――――――┘
写真iimg8393
廿二丁、北面下部拡大、敷地買取と寄進の経緯

写真fimg3680
廿二丁、西面
┌―――――――――――――――――――┐
│ 大正九年五月            │
└―――――――――――――――――――┘



写真fimg3718
大原206の道標、西面 道標詳細はこちら
┌―――――――――――――――┐
│左 奥ノ院道         │
│   施主岡部新太郎     │
└―――――――――――――――┘



写真fimg3733
十七丁、南面
┌―――――――――――――――――――┐
│  大坂東区横堀三丁目        │
│是より奥ノ院へ 十七丁        │
│  渡辺音次郎            │
└―――――――――――――――――――┘

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十三丁、北西面
┌―――――――――――――――――――┐
│  大坂西区立売堀北通        │
│是より奥ノ院へ 十三丁        │
│  西野藤(松)           │
└―――――――――――――――――――┘
(( )部は「能勢の道しるべ」より。)

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十二丁、南東面
┌―――――――――――――――――――┐
│  大坂西区阿波座四番町       │
│是より奥ノ院へ 十二丁        │
│  三輪重太郎            │
└―――――――――――――――――――┘

写真iimg8557
十丁、南東面
┌―――――――――――――――――――┐
│  大坂西区四メ島町         │
│是ヨリ奥ノ院へ 十丁         │
│  戸田(与)            │
└―――――――――――――――――――┘
(「能勢の道しるべ」は(与)を「貞一」とする。)
(四メ島町は四貫島町、大正14(1925)年以前は西区)



写真fimg5114
木橋分岐の道標、南東面 道標詳細はこちら
┌――――――――――――――――――┐
│右 奥ノ院妙見道          │
│    大阪大乘結社中       │
└――――――――――――――――――┘
(登り方向の案内か)

写真fimg5117
木橋分岐の道標、北西面
┌――――――――――――――――――┐
│左 能勢妙見道           │
└――――――――――――――――――┘
(下り方向の案内か)



写真iimg8587
九丁、西面
┌―――――――――――――――――――┐
│  大坂市西区土佐堀通二丁目     │
│是より奥ノ院へ 九丁         │
│  田中金次郎            │
└―――――――――――――――――――┘

写真iimg8324
八丁、東面
┌―――――――――――――――――――┐
│  大阪東区南久太郎町        │
│是より奥ノ院へ 八丁         │
│  網野松之助            │
└―――――――――――――――――――┘

八丁のみ道筋から外れて建つ。
写真fimg3573
八丁、を東に見る。

写真fimg3586
八丁、を西に見る。
妙見山本瀧道から下ってきた時の正面。
八丁先は野間中駐在所辺り、地黄を経由し
奥ノ院本道を案内しようと考えたか。



写真iimg8573
七丁、南西面
┌―――――――――――――――――――┐
│  和歌山市万町           │
│是ヨリ奥ノ院へ 七丁         │
│  日方吉之助            │
└―――――――――――――――――――┘

写真iimg8729
五丁、北面
┌―――――――――――――――――――┐
│  大坂阿波座四番町         │
│是より奥ノ院へ 五丁         │
│  永谷嘉平             │
└―――――――――――――――――――┘

写真fimg5132
四丁、南面
┌―――――――――――――――――――┐
│  大坂東区南久太郎町        │
│是ヨリ奥ノ院へ 四丁         │
│  金山精一郎            │
└―――――――――――――――――――┘



写真fimg5136
三丁、北面
┌―――――――――――――――――――┐
│  大坂阿波座四番町         │
│是ヨリ奥ノ院へ 三丁         │
│  川島菊松             │
└―――――――――――――――――――┘

写真iimg8789
二丁、北面
┌―――――――――――――――――――┐
│  大坂阿波座三番町         │
│是より奥ノ院へ 二丁         │
│  魚忠事 斧田宮次郎        │
└―――――――――――――――――――┘



写真fimg5154
今谷道の峠の妙見道標、北西面 道標詳細はこちら
┌――――――――――――――――――┐
│右 能勢妙見道           │
│    大阪大乘結社中       │
└――――――――――――――――――┘
(奥ノ院から下り用か)

写真fimg5165
今谷道の奥ノ院道標、南面 道標詳細はこちら
┌――――――――――――――――――┐
│左 奥ノ院妙見道          │
│    大阪大乘結社中       │
└――――――――――――――――――┘
(奥ノ院へ西折れの案内)



写真fimg5182
一丁、西面
┌―――――――――――――――――――┐
│  大阪市西区阿波座四番町      │
│従是奥ノ院へ 一丁          │
│  発起人 三輪八十次郎       │
└―――――――――――――――――――┘


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6.【地図】
写真eimg9532
【13.能勢町今谷道丁石地図】

写真eimg9533
【14.能勢町本瀧道丁石地図】

写真eimg9528
【15.川西市新滝道丁石地図】

写真eimg9534
【16.豊能町清滝道丁石地図】

写真fimg3225
【17.能勢町東部の道標】
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