80.能勢町妙見山奥ノ院本道丁石一覧

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 2023/10/20 【訂正】 八丁丁石が有りました。合わせて他二基の位置情報を訂正します。
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【摂津名所図会『妙見山』 【能勢街道の仮起点の 【現在(2022)社務所前より
 北西、野間中方面より  三ツ辻から東を見る  本堂方向(北)を望む
 南東を見たものと思われる】  真如寺経由奥ノ院へ】  上に奥ノ院】

目次
 1.参道概要
 2.本道参道
 3.丁石全般
 4.丁石一覧
 5.丁石詳細
 6.地図

1.【参道概要】
 『能勢町史』の「能勢の町石一覧表」に妙見山奥ノ院の「本道」2基と「今谷道」15基が紹介されており、これを
 参考に訪ねてみた。
  妙見山は、国立国会図書館デジタルアーカイブの『攝津名所圖會』. [12]のコマ番号51に絵、解説がコマ番号46に載り、
 「野間村妙見山の峰にあり。麓より坂路十六町、一町毎に標石あり。渓に石橋を架す。左右に石燈爐十六基、石階
 (いしだん)百三十二段。本尊妙見菩薩、長二尺五寸許、右手に劔を蓋持。領主能勢侯これを守る。行程、京師より
 九里、大坂より八里。」と詳しいが、奥ノ院に関しては触れられていない。
  『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では、本瀧寺から「野間中今谷道入口(近道表示)の道標」まで下って来て、
 更に西、野間中まで下った後、旧能勢街道を北上し地黄、地黄から再び東へ折れて真如寺を過ぎ奥ノ院への約4qを、
 本道(真如寺道)としている。
  後日、奥ノ院の北方堀越峠、ひいては歌垣山方面からの途中に道標が有る事が分かり、今谷道一丁丁石の東の峠で
 合流しており北方面からの参道とも言えるであろう。堀越峠参道としても良いが丁石は存在しなかった。
 「地黄堀越峠の道標」参照。

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2.【本道参道】
  『能勢の道しるべ』に従えば当参道の起点は、旧能勢街道の分岐点か、真如寺辺りとなろうが、何れにも起点とな
 る丁石は見当たらない。上書の二基の丁石の内「八丁」丁石は真如寺七面堂下の境内南端にあり、「一丁」と「三丁」
 丁石が残る様である。
  尚、終点は「一丁丁石」から距離を合わせると奥ノ院の階段下辺りとなり、今谷道参道の終点(目的地)とは一致
 しない。尚、上記書では「建造当初から多分この二基…造立時は大阪市外であった大正末年以前のこと」とあるが、
 二基とした根拠は書かれておらず、現に「三丁」が存在するので最低三基は建てたとできるが、普通ならば連続して
 建てたものと思う。
  尚、大阪市の成立が明治22(1889)年4月、十三市域編入と西成郡上津町編入が大正14(1925)年4月、と市のhpに有る
 ので、建立はこの間に絞り込めるでしょう。
  注、上記の「旧能勢街道」が何時の時代を示すか分からないが、明治期の能勢街道とした。これを近世の街道とす
 るなら、更に西70mを南北に通る道であろう。此処には「真如寺寶塔舊趾」碑が立つ。ここが起点なら15丁強となる。
  都合により、中間部分の想定六丁から四丁の間は2023年10月の調査による。

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【1.近世の旧能勢街道から 【2.明治の能勢街道14.5丁から 【3.真如寺を西に望む 【4.『能勢の道しるべ』
 奥ノ院への三ツ辻に建つ  奥ノ院へ分岐する四辻を  参道の起点に相応しい  の七面堂前八丁石辺り
 真如寺宝塔旧趾碑】  東に見る、丁石等なし】  9丁辺りの地点だが】  を西に振り返るが無い】

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【5.実は七面堂下に降り 【6.想定八丁を東に見る 【7.三丁丁石を 【8.三丁過ぎの分岐を西に振返る
 境内南端玉垣切目の南  これ以降三丁まで  北に見上げる  本参道は左から登ってくるが
 崖縁に「八丁」がある】  丁石は見当たらず】  丁石から先少し緩やか】  奥(北西)に下る道がある】

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【9.想定「二丁」辺りを 【10.一丁を北東に望む 【11.奥ノ院階段下0丁を東に 【12.奥ノ院を北に見る
 南東に見るが無い  平坦道110mの先階段下辺り  見る、左上に登り奥ノ院  0丁からは二つの
 前の分岐から60m程】  が0丁、到達点になる】  奥(東)は今谷道の下りへ】  階段130段程を登る】

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3.【丁石全般】
 二基しか確認出来なかったが、形状的には山形で、柱状というより板状の様に見える。施主の住所は「大阪市外」と
 とあり、現在の淀川より北の地域である。 
 敢えて違いを述べると、「一丁」の施主が二名、「三丁」が一名に成っている点で、最終石と中間石の区別が付けら
 れている。この理屈を用いると、「八丁」も一名の施主で参道途中の丁石となり、開始の丁石も探さなければならず、
 参道起点が真如寺より下(西)になりそうである。
  「八丁」丁石が寺境内にあるのは移設されたものか、参道が境内を抜ける道としたものかは不明であるが、現在の
 位置を考えると、崩落の危険性がある地点でもあり当初の位置では無いように思う。

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4.【丁石一覧】
 距離は地理院地図より。
能勢町妙見山奥ノ院本道丁石一覧
丁数北緯東経紀銘施主紀年形状大きさ
p
道の
左右
地図上
の距離
(m)
同左
換算
丁数
表記
誤差
丁数
834.958983135.466683   大阪市外十三堀
八丁 木村トク
大阪市外十三堀
木村トク
山型角柱45x19x13p(頂高3p)七面堂下
谷側
10159.31.3
334.960708135.470832   大阪市外上津町三津屋
三丁 田中馬吉
大阪市外上津町三津屋
田中馬吉
山型角柱57x19x13p(頂高3p)
山側
3633.30.3
134.960708135.472325   大阪市外十三堀
一丁 佐々木栄一
   斎藤栄蔵
大阪市外十三堀
佐々木栄一
斎藤栄蔵
山型角柱52x20x14p(頂高3p)
頭頂後部一部欠損

谷側
11010
034.960520135.473192社務所の階段下、三ツ辻0--

注)「大きさ」は基礎部を含まない地表高x巾x奥行。

写真jimg5622 写真iimg9158 写真iimg8885
【1.八丁】 【2.三丁】 【3.一丁】

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5.【丁石詳細】



写真jimg5622
八丁、北面
┌―――――――――――――――――――┐
│   大阪市外十三堀         │
│八丁 木村トク            │
└―――――――――――――――――――┘

写真jimg5647
八丁、北面下部拡大
 「木村トク」部分
  住所は一丁と同じ



写真iimg9158
三丁、南面
┌―――――――――――――――――――┐
│   大阪市外上津町三津屋      │
│三丁 田中馬吉            │
└―――――――――――――――――――┘

写真iimg9170
三丁、南面中央部拡大
 「田中馬吉」部分

写真iimg9182
三丁、南面右上部拡大
 「大阪市外」部分

写真iimg9190
三丁、南面右中部拡大
 「上津町三津屋」部分



写真iimg8885
一丁、西面
┌―――――――――――――――――――┐
│   大阪市外十三堀         │
│一丁 佐々木栄一           │
│   齋藤栄蔵            │
└―――――――――――――――――――┘

写真iimg8889
一丁、西面下部拡大(色加工)


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6.【地図】
写真eimg9532
【13.能勢町奥ノ院本道丁石地図】

写真eimg9533
【14.能勢町妙見山本瀧道丁石地図】

写真eimg9528
【15.川西市妙見山新滝道丁石地図】

写真eimg9534
【16.豊能町妙見山清滝道丁石地図】

写真fimg3225
【17.能勢町東部の道標】
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