78.能勢町妙見山本瀧道丁石一覧

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2023年11月24日「茨木市東奈良3の道標4」誤読に依る訂正。
 理由:正「六十丁」を誤「半丁」としていた。道標として丁石から除きます。
2022年11月 調査しました。
 「川西市妙見山新滝道丁石一覧」はこちら
 「豊能町妙見山清滝道丁石一覧」はこちら
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 「能勢町妙見山奥ノ院本道丁石一覧」はこちら
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【摂津名所図会『妙見山』 【本瀧寺の本瀧を南に望む 【開運(本)堂を南東に望む
 北西、野間中方面より  境内南東端にあり  妙見山HPに天明七(1787)年再建
 南東を見たものと思われる】  妙見山参道は西端を通る】  明治28(1895)年改修とある】

目次
 1.参道概要
 2.本瀧道参道
 3.丁石全般
 4.丁石一覧
 5.丁石詳細
 6.地図

1.【参道概要】
『能勢町史』には、
 「妙見道(能勢妙見参詣道として)四方向から、1.京丹波方面、2.大阪池田方面、3.大阪茨木方面、4.三田
 有馬の各方面としてみると、妙見山近辺では3本の参詣道に集約できる。
 ・本瀧道(表本道)(西、北より)野間中、本瀧寺、妙見山。これに接続するのは、
            稲地、片山、平通、坂井峠、猪子峠、野間中、この道へ
            山辺、大里、柏原、名月峠、猪子峠、野間中、この道へ
            宿野、逢坂峠、上田尻、仏坂峠、地黄、野間中、この道へ
            園部、暮坂峠、倉垣、地黄、野間中、この道へ
            吉野、倉垣、地黄、野間中、この道へ
 ・清滝道(京参道)(北、東より)野間口、妙瀧寺、妙見山。
            能勢町に該当なし
            京都亀山、豊能町牧、野間口、この道へ
            茨木切畑、豊能町野間口、この道へ
            箕面勝尾寺、豊能町高山、野間口、この道へ
            池田、豊能町余野、野間口、この道へ
 ・新滝道(大阪参道)(南より)旧妙見道等で、豊能町吉川、川西市黒川、妙見山。(2019年現在通行止め)」
 としている。
 妙見山は、国立国会図書館デジタルアーカイブの『攝津名所圖會』. [12]のコマ番号51に絵が載り、
「能勢妙見祠」(コマ番号46)
「野間村妙見山の峰にあり。麓より坂路十六町、一町毎に標石あり。渓に石橋を架す。
 左右に石燈爐十六基、石階(いしだん)百三十二段。本尊妙見菩薩、長二尺五寸許、右手に劔を蓋持。領主能勢侯こ
 れを守る。行程、京師より九里、大阪より八里。」とあるが、参詣道の詳細経路については触れられていない。
 (石段132段は本瀧道と思われる。参道下部に橋が二本架かり、其の内一本大きい方が「神力橋」であろうと思うが、
 この橋の直後に石段があり、126段有る様だ。図中の二つ目の階段は「天空殿鳥居」の下部と思われ50段程。)
 更に、図中の「妙見瀧」の左に「本社より蹉(サ?)十一丁道」とあり、現滝行場が参道から50m程奥まっている事に
 一致する。
 これからすると「十六町」の経路は野間からのものと読み取って良く、「本瀧道」参道の記述であろう。
 同じく、「…瀧に(妙見宮よりこの下、十一町目にあり)浴し…」とあり、滝が参道の十丁辺りから、少し東にある
 事を表現したものと思われる。
  この本瀧道の終点近くの「能勢町野間中本滝道下山口の奥ノ院道標」に「本瀧迄十丁」「神力橋迄十五丁」とあり
 これともほぼ整合性があり、明治の頃でも余り変わりなかったと思われる。
  別に、『ガイド能勢町』塩田豪一、平成14年刊に「石段では牛が登れないので、手洗橋より別に牛道がある、」と
 あり、此の道らしきものが名所図会にも書き込まれている様で、人も利用しなかった筈は無いが参道とはしなかった
 と考える。この道は倒木などが邪魔をするが現在(2022年)も通行出来た。)

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2.【本瀧道参道】
  先ず、当参道の起点であるが、現7(736m)町丁石が不変で有ったとして、大阪環状自然遊歩道を参道とすると、
 府道4号、すみよし茶屋の分岐点が830mとなりやや長くなってしまう。分岐から東へ沢沿いの道が府道と並行して
 おり明治の地図の分岐点は70m程東であったのかも知れない。
  尚、現在の国土地理院の地図には、茶屋の分岐から180m地点で南に橋を渡り、本瀧寺へ向う道しか書かれていな
 いが、環状自然遊歩道は其処を分岐せず東に直進し270m辺りで小さな沢を橋で越えた後、南へ直角に折れ二本目の
 大きな橋(神力橋か)を渡り、名所図会にある階段を登り、ほぼ一直線に本瀧寺に到着する。ほとんどの人がこの環状
 自然歩道を使用すると思われる。地図にある道(舗装路)も急階段の上部で環状自然遊歩道に合流しているが、70m
 程遠回りになる。階段より楽ではあるが倒木等が有り放置されている感があるのは参道ではないからでしょう。この
 分岐する道は、名所図会の中にも見えるが、川を渡り右の谷奥に消えた後、階段上部に繋がっている様に見える。
  依って、大阪環状自然遊歩道を参道として、茶屋の分岐70m東を丁石の起点とします。(急階段部分も水平距離で
 測っている為、本来はもう少し東になるでしょう。)地図上では1500mの水平距離で300mの高度差となります。
 それでは本瀧道参道を辿りましょう。

写真iimg8293 写真iimg8288 写真iimg8284 写真iimg8282
【1.起点西70mの府道4号 【2.地理院地図の 【3.一つ目の橋を渡り 【4.二つ目の橋270mから
 本瀧道進入点を南東に見る  分岐点180mを西に見る  250mを南西に曲がり  (神力橋か)南へ
 背後に茶屋が有る】  此処は左の自然歩道へ】  二つ目の橋に向かう】  現126段の階段を登る】

写真iimg8275 写真iimg8077 写真iimg8076 写真iimg8085
【5.本瀧寺入口西の 【6.境内図の上部470m 【7.祈祷所下立札540m 【8.6丁辺りを南に見る
 境内図450mを西に見る  から北を振り返る  から南を見る  歩測の為多少の誤差は
 左に参道が続く】  鳥居からは灯籠が続く】  この辺りが5丁か】  お許しください】

写真iimg8089 写真iimg8274 写真iimg8107 写真iimg8110
【9.妙見山御供水所の 【10.七丁780mの丁石を 【11.正面に二又の 【12.曲がってすぐ830m
 建物を参道左に見る  通り過ぎて気が付き  大きな杉が立ち  八丁丁石が倒れて
 この辺りまで直進】  北向きに見下ろす】  右に大きく曲がる】  今にも落ちそう】

写真iimg8133 写真iimg8136 写真iimg8150 写真iimg8269
【13.八丁を北に廻り込み 【14.百度石を180度廻り 【15.九十九折れが始まり 【16.西に張出す尾根に出て
 850mで百度石を南望  南に向き920m地点に  二回目?の東向き1.01q  東に曲り1.06q右に十一丁、
 左後ろは大杉堂跡か】  九丁が埋もれて建つ】  左側に十丁が建つ】  左下に白瀧大神碑がある】

写真iimg8191 写真iimg8194 写真iimg8208 写真iimg8209
【17.妙見山が北西に張出す 【18.右横「妙見山大阪府 【19.境内平坦地の端の 【20.階段左の三丁1.37qと
 尾根筋に出る地点を東に  自然環境保全地域」の  神力橋十五丁の道標  左端参道外の壱丁1.4qを
 90度曲がる正面1.13qに  案内板、赤印が現在地  1.36qを北西に見る  南に見る、明治の丁石は
 十二丁、木柵の向う倒置】  十二丁丁石を示す】  本瀧寺へは十丁とす】  残丁数を示すと思う】

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3.【丁石全般】
 1.丁石の起点が不明である。攝津名所圖會で麓より16丁とあるので、旧参道を明治の地図で想定し、それから逆算
  してみると、前述の如く、府道4号分岐点の東70m辺りとなりそうです。
   本瀧寺に現存する丁石は、進んだ距離を表す方式になるようで、「七町」が最初で「十二町」が最も妙見山寄り
  である。
   「七町」と「十二町」には願主の銘があり、その間の丁石は「前同」とする事から、この六基が一連の作である
  と考えられる、がなぜ中途半端な部分だけ建てたのか不可解である。当時その前後には丁石が有り欠落部分だけ補
  ったと考えるのが一般的か。
   この5丁の間が地形図で340m、歩測で440mとなり1丁程少なく、当時の道がもっと曲りくねっていたか、或
  いは今と変わらないなら全て移設されたと考えざるを得ない。
 2.本瀧道と清滝道は合流していたか。
  名所図会で「本社」の左側に当本瀧道が急坂を登りつめた所に左(東か)からの水平な道が合流している様子が見
  える。この水平な道を「清滝道」と見なすのであるが、合流後はどちらも本社を目指す。
   この本堂近くの境内平坦部の北端の合流部に道標二基と、明治の丁石二基が建っており、丁石については上記の
  七町丁石から十二町の丁石とは全く異なる意匠であり、東側の壱丁丁石の建つ位置は、「本瀧道」からやや離れて
  いる為、清滝道上と理解できる。「三丁」丁石は本瀧道との合流点に立て掛けられているだけで、ここに設置され
  ていたものでは無さそうである。この二基は寄附主が同じで明治に建てられており、「壱丁」丁石が埋って建てら
  れている事から、三丁が移設された可能性が高いと考えれば、本社迄の距離の関係から、三丁丁石が清滝道の東方
  2丁に立っていたものと出来る。少なくともこの二基は本社への残り丁数を示すものでしょう。
  「清滝参道」に属するものと思うが、当参道上及びすぐそばにあるので載せておく。
 3.現存する丁石に関して。
  先に述べたように、本瀧道筋としては「七町」から「十二町」の六基しか残らず、名所図会が書かれた頃の石標は
  遺失したものと思われ、それ以降の建立であろう。又急坂とは言え水平距離が近かすぎるものがあり、移設もされ
  ていると思われる。
 4.本瀧道上の道標の距離記述。
  前述「本堂近くの境内平坦部の北端の合流部に道標二基」とした内の明治の一基に「本瀧寺10丁」「神力橋15丁」
  と刻まれている。これは当然本瀧道を下った時の距離を示しており、妙見山からここまでが1丁強あるので、丁石
  と見なすと、本瀧寺11丁、神力橋まで16丁強となり、名所図会の記述と矛盾は無さそうである。

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4.【丁石一覧】
豊能町妙見山本瀧道丁石一覧
丁数北緯東経紀銘願主紀年大きさ地理院地図
上の距離
(m)
前から
の距離
(m)
同左

(丁)
734.932709135.466774七町 願主
    生嶋市郎兵衛
生嶋市郎兵衛なし63x17x17p
(頂高3p)
7957957.3
834.93259135.466664八町 前同前同なし64x18x18p
(頂高3p)
826310.3
934.932338135.466155九町 前前同かなし34x17x17p
(頂高3p)
920940.9
1034.931601135.466014十町 前同前同なし50x17x14p
(頂高3p)
1005850.8
1134.931190135.466062十一町 前同前同なし45x18x15p
(頂高4p)
1060550.5
1234.930749135.465980十二町 願主
    □□□郎兵衛
生嶋市郎兵衛かなし60x18x13p
(頂高2p)
1130700.6
1534.929472135.467683       本 瀧迄十丁
西 左奥之院迄四十五町
       神力橋迄十五丁
大阪大乘結社中明治三十年七月
1897年
100x16x15.5p
(頂高11p)
13602302.1
残334.929402135.467606妙見山 御山迄是より 三丁寄附主美濃笠松高木久治郎明治十六年未五月
1883年
86x15x12p
(頂高3p)
1370100.1
残134.929349135.467657妙見山 是ヨリ御山迄 壱丁寄附主美濃笠松高木久治明治十六年未五月
1883年
80x15.5x12.5p
(頂高5p)
清滝道
1400
300.3

注)「大きさ」は基礎部を含まない地表高。

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5.【丁石詳細】


写真iimg8097
七町(西面)
┌――――――――――――――┐
│七町 願主         │
│    生嶋市郎兵衛    │
└――――――――――――――┘

写真iimg8114
八町(倒置)
┌――――――――――――――┐
│八町 前同         │
└――――――――――――――┘

写真iimg8139
九町(西面)
┌――――――――――――――┐
│九町 前          │
└――――――――――――――┘

写真iimg8155
十町(西面)
┌――――――――――――――┐
│十町 前同         │
└――――――――――――――┘



写真iimg8258

十一町(北面)
┌――――――――――――――┐
│十一町 前同        │
└――――――――――――――┘

写真iimg8176

十二町(倒置)
┌――――――――――――――┐
│十二町 願主        │
│    □□□郎兵衛    │
└――――――――――――――┘


清谷道の丁石であろう。


写真fimg5014
三丁(北面)
┌――――――――――――――┐
│    御山迄       │
│妙見山     三丁    │
│    是より       │
└――――――――――――――┘

写真fimg5015
三丁(西面)
┌――――――――――――――┐
│明治十六年 未 五月    │
└――――――――――――――┘

写真fimg5016
三丁(東面)
┌――――――――――――――┐
│寄附主 美濃笠松 高木久治郎│
└――――――――――――――┘



写真fimg5023
壱丁(北面)
┌――――――――――――――┐
│    是ヨリ御山迄    │
│妙見山        壱丁 │
└――――――――――――――┘

写真fimg5026
壱丁(東面)
┌――――――――――――――┐
│寄附主 美濃笠松 高木久治 │
└――――――――――――――┘

写真fimg5024
壱丁(西面)
┌――――――――――――――┐
│明治十六年 未 五月    │
└――――――――――――――┘


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6.【地図】
写真eimg9533
【21.能勢町本瀧道丁石地図】

写真eimg9528
【22.川西市新滝道丁石地図】

写真eimg9534
【23.豊能町清滝道丁石地図】

写真eimg9535
【24.豊能町の道標】

写真eimg9532
【25.能勢町奥ノ院今谷道丁石地図】

写真fimg3225
【26.能勢町東部の道標】
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