76.能勢町野間中本滝道下山口の奥ノ院道標

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能勢町野間中661 妙見山簡易郵便局の北20m本滝道下山口の三叉路北東部に西を正面に建つ
(当道標の東隣りに小さいもう一基が建つ)
尖頭型角柱 100x16x15.5p(頂高11p)
N34.929472 E135.467683


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西面
┌――――――――――――――――――┐
│           本 瀧迄十丁 │
│西 左奥之院迄四十五町       │
│           神力橋迄十五丁│
└――――――――――――――――――┘
(「迄」は「占」にシンニュウと彫る)

南面
┌――――――――――――――――――┐
│   大              │
│南    大乘結社中        │
│   阪              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│東                 │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│北  明治三十年七月建之      │
└――――――――――――――――――┘
(「東西南北」は各面の上角錐部に記す)


(明治三十年は西暦1897年)
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では76)
(同書に「山上から妙見山奥ノ院を案内するものである。…大阪の妙見講社「大乘結社中」が造立したもの
 で、妙見奥ノ院道の二基の道標もこの社中が造立したものである。」とあるが、同社中のものはもう一基
 あり全部で四基と思われる。奥ノ院から近いもの順に
 1.「今谷道の奥ノ院道標」奥ノ院階段下から約100m南東の鞍部三ツ辻
 2.「今谷道の峠の妙見道標」すぐ東の道標
 3.「今谷道の木橋分岐点の道標」真如寺への分岐点
 4.「本滝道下山口の奥ノ院道標」当道標
 がある。紀年銘が入るのは当道標だけであるが妙見山から奥ノ院への最短経路上の案内であることを見れ
 ば、全て同時に建立したと思われる。)
(又同書に「方柱の錐頭に「東西南北」を表し…」とあるように方角が明記されており、この様なものは数
 が少ないが幾つか見受けられる。
 「茨木市宿川原町1北側の道標」
 「茨木市中河原町10の道標」
 「箕面市箕面1の道標」
 「箕面市勝尾寺境内の中山寺百六十丁道標」
 少し変わったもので
 「茨木市三咲町2の道標」
 等を挙げておく。)
(西面距離の表示には疑問がある。大前提としてここから各地点は一本の経路上であることとする。
 明治の地図で経路を推定し、現在の地図で大原野を抜ける近道の距離を求めた結果を示す。
  @「本瀧寺迄 10 丁」が地図上 860m( 7.9丁)(誤差2.1丁)
  A「神力橋  15 丁」が地図上1200m(11.0丁)(誤差4.0丁)
   「22丁丁石(23)」 が地図上1790m(16.4丁)(誤差6.6丁)
   「17丁丁石(28)」 が地図上2350m(21.6丁)(誤差6.4丁)
   「1丁丁石(44)」 が地図上4390m(40.3丁)(誤差3.7丁)
  B「奥ノ院  45 丁」が地図上4520m(41.5丁)(誤差3.5丁)

 そう全てが現状と合わないのである。
 @Aは近道に関係なく、問題の解決は移設か、経路が遠回りしていたと考える他はない。
 Bは、近道を行かず、野間中から地黄、真如寺の本道をとるとすると54丁と反って大きくなりそうなので
 近道解決策を考える必要がある。
  現存する22丁と17丁の丁石間が5丁であり、5丁の間隔を保ったまま両方が移設されたと考えるよりも、
 移設されていないとするほうが妥当で、22丁丁石を元位置と考えると、妙見山−本瀧寺は本瀧寺の何処迄
 とするかで誤差が出るとして、神力橋での誤差が大きく、その後の22丁丁石迄の推定経路が間違っている
 と思える。
  明治の地図では、本瀧寺−府道間はほぼ直線に描かれている。大正15年地図では、神力橋へは直線に見
 えるが、府道へは寺より西の墓地内を通る道も見え、経路同定は難しく、今後の課題とする。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を北に望む
 右端竹垣後の二基の内  奥右(南)妙見山へ  奥下、本瀧寺へ
 背の高いのが当道標】  背後、本瀧寺へ下る】  奥右、道なりに鳥居へ】

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【4.道標を北西に望む 【5.道標西面下部拡大 【6.道標北面上部拡大
 南面に「大乘結社中」  「本瀧迄十丁」  「明治三十年」とある
 施主の面が目立つ】  「神力橋迄十五丁」】  紀年銘は当道標のみ】

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【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
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