16.箕面市勝尾寺境内の中山寺百六十丁道標

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箕面市粟生間谷2914 勝尾寺境内、二階堂西10m、空き地に寝かされている。
(元、鐘楼横の道しるべとされる。)
四隅角落型角柱 164x31x31cm(頂高7p)
N34.866625 E135.492112


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右面
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│  右みのを山たき古し      │
│西                │
│    中山寺へ百六十丁     │
└―――――――――――――――――┘

上面
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│北 左中山寺百六十丁       │
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左面
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│東 第二十三番札所        │
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下面
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│                 │
│南 文政三辰年佛誕日 願主    │
│           彌三郎建之 │
└―――――――――――――――――┘
(下面は『箕面のみちしるべ』より)


(文政三(庚辰)年四月八日は、西暦1820年5月20日金曜日となる。)
(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では、29)
(同書に、「鐘楼の西横に文政三年(1820)の釈迦誕生日に建てられた道標がある。」とあり、鐘楼の北西
 に「西…」が西に向いて立っている写真が載っている。そうすると、碑面の東西南北は、その場所での方
 向を示す事になり、進むべき方向ではなくなる。よって、「北 左中山」は、中山寺へは東へ進め、「西
  右箕面山滝越」は、箕面山滝越へは南へ進めとなり、今の方向とは完全に一致しない。鐘楼横(北西部)
 は元位置ではなく、そこへも移設されていたものであろう。
  ここで、明治の地図を見ると、勝尾寺本堂の南西110mに、ほぼ東西に通る道に北西からの道が交わる
 三叉路が見える。現在では、鐘楼下の階段からほぼ西へ100m進んだ辺りと思われる。
N34.865073 E135.490151
 この地点にあると、滝道経由、或いは高山道経由で中山寺を目指すなら、明治の地図で西(今の地図の道
 は南折れ)へ進む。
 表参道経由で中山寺を目指すなら、東へ進んだ後、不動堂から南に折れ、現山門地点に進み、参道を南に
 登る。
 又、東へ100m進めば、「二十三番札所=勝尾寺」本堂へ登る階段の下の地点に行着つき、不都合は一切
 無くなる。
 依って、この三叉路の南部に、方角が示すとおりに建っていたものとしたい。
  尚、この辻の北西への道は、北の高山道へと繋がっている。途中の峠地点で尾根筋を東へ採ると開成皇
 子の墓へも繋がる。
 (下の「資料館」作成の『勝尾寺旧参道歩き・み・ふれる』にのる絵図も参照下さい。))
(「中山寺百六十丁」に関しては、疑問点があり、「箕面市粟生間谷の道標(山門南の下乗石道標)」を参照下さい。)

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【1.二階堂西10mの道標等】 【2.道標の頭部(左側)】 【3.箕面市の道標】

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【4.西国廿三番札所 【5.勝尾寺付近元禄頃の絵図
 勝尾寺案内之絵図  鐘楼の西、三叉路辺り
 左下「みの道一リ」辺】  南は現府道43号へ】
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