84.能勢町剣尾山下見谷道丁石一覧

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2023年5月 調査しました。 旧月峯寺参道二本の内「白木谷道」とは別項にしました。
 「剣尾山月峯寺丁石一覧のgoogleマップ」はこちら
 「能勢町剣尾山白木谷道丁石一覧」はこちら
 その他関連参照先
 「川西市妙見山新滝道丁石一覧」はこちら
 「能勢町妙見山清滝道丁石一覧」はこちら
 「能勢町妙見山奥ノ院今谷道丁石一覧」はこちら
 「能勢町妙見山奥ノ院本道丁石一覧」はこちら
 「妙見山・奥ノ院の丁石googleマップ」はこちら
 「豊能郡の道標googleマップ」はこちら
 「妙見山(奥ノ院含)案内の道標googleマップ」はこちら
 「妙見山、奥ノ院堀越峠道googleマップ」はこちら

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【摂津名所図会『月峯寺』 【起点とすべきか不明であるが 【山頂南部旧月峯寺
 現在の寺と思われ丁石が  想定38丁地点を北東に見る  本堂跡を北東に望む
 目指すのは山頂近くの  食堂東には旧道の痕跡が  想定参道は1丁丁岩から
 「剣尾山月峯寺旧跡」】  あり明治の地図に一致】  鐘楼跡を経て北に登る】

目次
 1.参道概要
 2.下見谷参道
 3.丁石全般
 4.丁石一覧
 5.丁石詳細
 6.地図

1.【参道概要】
 月峰寺は、国立国会図書館デジタルアーカイブの『攝津名所圖會』. [12]のコマ番号48に絵が載るが、こちらは現在の
 月峯寺に当ると思われ、丁石が示すであろう「月峯寺」は「劔尾山舊蹟」コマ番号49になると思われます。同書によ
 ると「大里村より五十町北の方、山遍村上方にあり、又中宿野より登れば坂路壱里(36丁)、此道嶮岨にして渓水道を
 遮り行路の半に梵字石あり、山嶺に至て四方を見れば衆山空しく奇伏(きふく)し田圃の畝に似たり、南方灘の海面鮮
 にして風色只なし、彌〔いよいよ〕東北には京師の日枝愛宕(ひえあたご)の峯々遙に見へて弧峰獨秀の虹外(こうがい)
 〔意味不明〕なり」
 とある。大里村は天保摂津国絵図にも載り現在も町名として残るが、剣尾山旧蹟への経路となると少し分かり難い。
 そこで、中宿野を手掛かりに、中宿野を現在のバス停(宿野三区公民館の東)辺りとすれば、下見谷を登る道となり、
 今に残る丁石と矛盾も無くなりそうです。同じく大里バス停辺りを大里村とすれば、府道104号(宿野下田線)経由
 で1.6q(14丁)となり合計50丁でこの下見谷参道を示しているでしょう。
  但し、大路次川の支流の下見川沿いでは無く、下宿野からその西の譲川左岸(東岸)を登る道の方が距離が短くなり、
 明治の地図でもこちらの道の方が太く描かれており、何故こちらを参道にしなかったが気になる点ではある。一つの
 考えとしてこの経路では「久佐々神社」を通過しない点であろうか。
  一方、「山遍(山辺)村上方にあり」はどうでしょう。この村も国絵図の月峯山のすぐ南にあり「すねこすり」
 (天王村)に続く朱書きの街道が描かれています。よってここからの参詣道が有ってもおかしくはない。
  現在では、先の道を「表参道(下見谷参道)」とし、山辺からの道を「裏参道」としている様である。表・裏の可
 否は別としてこれを使うとしますが、裏参道に当る方を「白木谷道(参道)」と呼びます。この名称は山辺川の支流
 の白木谷川等にも見られ、この谷の名前であろう。
  里からは、白木谷参道の方が距離が短く北に直登する感じで、下見谷参道は東から北に登り西に折れて尾根筋に取
 り付く形となり距離が長くなる分登り易くこの為「表」としたものか。名称については途中に「下見池」がありこの
 辺りの呼び名であろう。読み方は「したみ」らしい。明治の地図では「下見」が中宿野の北に見える。)
写真jimg1045
【明治の地図に月峯寺への二本の参道を書き加えた】

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2.【下見谷参道】
  先ず、当参道の起点であるが、丁石の約束事である「最初と最後が特別で、中間は同じ意匠」により判断したいの
 であるが、当丁石群に於いては残存するものが一部であり欠損部分も多い事から、難しそうである。ただ、1丁は岩
 に刻み込まれ特別と出来ます。
 『能勢の道しるべ』森田弌1991年発行(以降参考本とも書く)には、剣尾山月峰寺町石として、寺の縁起と共に説明
 があり、又引きで申し訳ないが「南北朝から室町前期にかけて、『山辺村古記』の「西林禅寺」の項に『右往古者浄
 土宗西蓮寺ト号シタリ、剣尾山月峰寺応永年中暫ク浄土宗ノ山トナル、ソノ西蓮寺者里坊タリ、故ニ于今西林旧跡ヨ
 リ月峰へ町石有、廿八町目ト云(以下略)」と裏参道根拠が述べられるが、当表参道の記述は「この町石はここのみ
 でなく剣尾山月峰寺登拝道の宿野下見谷道にもあって、それが表参道(三八町)に当たり、三八基もある。」と素気
 ない。
  今回見た限りでは「丗八丁」とする丁石が残り、これに「(月)峯寺」と銘が刻まれている為、参道起点の丁石に
 相応しいとして、上記の「三八基」としたものと思える。ただこの石は現在地蔵堂の境内の石垣に立掛けられており、
 どこに設置されていたか不明であり、参道起点と出来るか不安である。摂津名所図会の「中宿野より一里(36丁)」
 より長い点を見ると、集落より2丁も手前から参道が始まっていた事になる。
  起点問題はさておき、38丁を明治の地図で想定すると、現在の宿野479にある食堂?辺りとなり、70m東には
 県道54号から北に分岐し町営斎場に続く道が見える。此の道がほぼ旧参道に近いと思われる。この三ツ辻の南の宿野
 3区公民館の植込みには「宿野公民館前の道標」があり「此山頂剣尾山月峰寺趾」とあるが移設されたものらしい。
  尚、地蔵堂は宿野489の民家の西80m程にあり、その解説板には「下水(したみ)地蔵堂…参道の途上にあり」
 とあり、この民家の前の通りが旧参道と思われる。
  尚、参考本の外に著者の甥に当る方(F氏)からの資料(同書以外の数基を発掘)も参考にさせて頂きました。
 有難うございます。
  当参道の内大里に二基、前述の地蔵堂に二基、その他、山道に入っての10丁とされる石と9丁辺りの石以外には
 見つける事が出来なかった。又、10丁より遠い部分は完全な舗装路となっており白木谷道の様に1丁毎に追跡する
 記述は省きました。下見谷道の6基は全て移設されており、参道トレースの醍醐味はない。
  現10丁丁石からの登山道部については、1丁丁岩を起点として1丁毎の地点を想定し確認する事にしましたが、
 結果、10丁丁石は施設内の舗装道に出てしまうと思われ、やや手前の登山道入口に置かれているようです。
  上部で、白木谷参道と合流した後は一本道となり本堂へ向いますが、その合流点は、現在白木谷道5丁丁石の前を
 通りすぎて上部の鞍部に出て、当下見谷道と合流する四辻(火の用心標K-3がある)ではなく、その先110mの地形図
 では三ツ辻の合流部(想定三丁の少し下)としています。よってK-3からの尾根筋に4丁丁石があればそれは下見谷
 道の丁石と出来る。 地理院地図参照へ

  それでは遠い順に下見谷参道を見てゆきましょう。最初は、移設されて大里の池の畔西側からとなりますが、ここ
 が分かり難いので説明しておきます。
  阪神方面から見ると逆になりますが、府道104号(宿野下田線)の能勢町役場南にある浄瑠璃シアター前の交差点
 から南に140mの交差点(四辻、東は農道)を西に折れて50mに三ツ辻があります。この三ツ辻北西部には小さな地蔵
 が祀られており、ここを南に折れて40m、右側(西)の石垣の有る大きな民家が切れた地点が池への進入口になりま
 す。多分進入口とは思えない、畦道にさえ見えない所を20p幅程の側溝に沿って山側(西)に登ります。40m先で
 池の東側の堤に出ます。参考本の「オダ池」を南から回り込み、池の北西部に取水井戸の様なものがあります。これ
 には波板で低い屋根が付けられおり、これの北側の斜面に立掛け(寝かせ)るように二基の丁石が置かれています。

写真jimg2205 写真jimg2203 写真jimg2199 写真jimg2196
【1.104号分岐辻から北を見る 【2.地蔵の三ツ辻を南西に 【3.進入口を北に見る 【4.水無の池を西に見る、中央
 右奥140mに浄瑠璃シアター  見る、右角に地蔵  正面石垣に沿い左(西)  切り株奥に丁石二基
 左(西)に折れ40m先へ】  奥(南40mの進入口へ】  40m程で池の堤へ出る】  南から回り込む】

写真jimg2191 写真jimg2190 写真jimg2106 写真jimg2135
【5.丁石二基を北に見る 【6.丁石二基を南に見る 【7.右32丁は読めるが 【8.37丁石南面拡大
 井戸屋根後、右32丁  左32丁は埋まるが板碑か  左石の右下部「卅」  梵字と「月峯」までは
 細い左が37丁丁石】  37丁の背面は舟底型】  以外は読めない】  読めるのだが…】

写真jimg2153 写真jimg2121
【9.37丁石南面下部 【10.32丁の上面拡大
 右やや下「丗」、中央「七」  「三十二町」は
 は見えず、左に「丁」か  明確に読めるが
 左下りの横書きに見える】  施主「慶佛」は読めない】

 府道104号に戻り、北上し、能勢町役場前を過ぎ、府道54号(園部能勢線)と合流する宿野交差点を右(東)折れ
 して、交差点から400mに久佐々神社駐車場入口が左(北)に有ります。
  寄り道ですが、駐車場側へ5m入った左手(西)生垣裏に
「久佐々神社の道標」があります。この
 東西の道が明治の地図に山裾を縫うように進む旧道かも知れませんが、現在では東の民家に突当り府道に出る事に
 なります。駐車場入り口からは50m東の地点で復帰し、更に200m東に進んだ地点が、月峯寺38丁地点になると
 想定出来ます。現在では宿野479の「お食事処」の前になります。

写真jimg2212 写真jimg2215
【11.想定38丁を北東に見る 【12.想定38丁の東70m
 店の玄関辺りを旧道が  三区公民館前を東に見る
 通過していたか】  府道を別れ左(北)へ】

 再び寄り道です。宿野三区公民館の北東隅生垣中に「公民館前の道標」があります。昭和三年の建立ですが、これから
 目指す、月峯寺跡を案内していますが、残念ながら移設されてここに有る様です。元は北の方にあったらしい。
  此処を北に再出発です。寄り道としましたが、現在では此処を折れるしか道はありません。交差点の北から40m
 辺りが想定37丁地点になります。

写真jimg2219 写真jimg2302 写真jimg2222 写真jimg2296
【13.想定37丁と思われる 【14.草道を210m北へ 【15.下水の地蔵堂 【16.34,38丁二基を北西に見る
 地点を北に見る、旧道は  舗装路四辻から70m西で  解説板を西に見る  中央石垣にもたれる
 茅葺屋根左を直進する】  地蔵堂を西に見る】  「したみ」とルビ】  左(奥)が38丁丁石】

写真jimg2228 写真jimg2231 写真jimg2233 写真jimg2301
【17.二基を北に見る 【18.38丁南面拡大 【19.34丁南面拡大 【20.地蔵堂北の墓地
 左が卅八丁で  「卅八丁」は  「三十四町」の上は  参考本の残欠石が
 右が三十四町】  間違いなさそう】  32丁より豪華な感じ】  有ると思われる】

写真jimg2303 写真jimg2304 写真jimg2306 写真jimg2308
【21.地蔵堂から東を見る 【22.想定34丁辺りを 【23.想定32丁辺りを 【24.32丁から150m西側の
 70m下り旧道に復帰し  北に見る、右に曲がり  北に見る、左手は住宅  つり池の看板に
 左(北)に折れる】  100m程で広い舗装路へ】  先640mで斎場下三ツ辻】  「下見池」とある】

  下見池を過ぎ、府立野外活動センター跡入口までは舗装路を行くだけで目ぼしいものは見つけられず省略。現在の道
 と明治の地図に載る道はほぼ同じに見え、距離的にはおなじであろうとした。
  センター入口手前の三ツ辻の右(東)側に大きな石(宿野牛堂、地蔵種子磨崖碑)があり、それを見た後、想定10丁
 位置から再開します。
 尚、この石が、摂津名所図会に「此の道険阻にして…行路の半ばに梵字石あり」と述べられているものでは無いかと思
 うのですが如何でしょう。38丁想定地点から約2.3q(11丁)辺りになります。又、この石には「干時明徳第二…」と
 紀年銘(1391年)があり、剣尾山丁石に有ったとされる応永18(1411)年よりも古い。(明徳は北朝最後の元号。)

写真jimg2312 写真jimg2314 写真jimg2313 写真jimg2318
【25.旧C入口手前三ツ辻を 【26.磨崖碑を北に見る 【27.磨崖碑解説板 【28.旧C入口の地図を北に
 北に見る、参道は左へ  左の輪の中に梵字  明徳2(1391)年  見て、舗装路を奥に進み
 右は磨崖碑へ】  地蔵の種子「カ」】  古くから三ツ辻か】  800m先が想定10丁】

写真jimg2483 写真jimg2322 写真jimg2324 写真jimg2327
【29.想定10丁辺りを北に見る 【30.10丁?の辻を西に見る 【31.10丁?を南西に見る 【32.仮称十町石とし
 地図で山上の1丁岩から  左の木の奥に残欠石  保存適所に置いたとし  丁寧な解説があり
 想定したものです】  左階段が参道、剣尾山へ】  やや近いとした】  参道外から移設とある】

  ここから旧下見谷参道に一致するとし、1丁毎に白木谷道合流点の手前4丁まで見ていきます。尚、距離の起点は現
 「一丁」岩から地理院地図の水平距離で見たものですが、この傾斜であれば経路が正しければ、経験則ではほぼ一致し
 ます。ただ現状、想定6丁辺りは足場が悪くルートの取り方によっては地図の道と異なり実距離は長くなるかも知れま
 せん。
  尚、この石を十丁石とし願主を「道性」とするなら、白木谷道の同じく十丁とされる石にある「性」が一字ではある
 が一致し、十丁に関しては同一人物が二基奉納した等と勘繰るのは如何でしょうか。石の幅はこちらが3p程広い。

写真jimg2331 写真jimg1790 写真jimg2359 写真jimg2363
【33.10丁?北面拡大 【34.【参考】白木谷の 【35.想定9丁辺りを西に見る 【36.70m先9丁?を北西に見る
 「丁道性」と、白木谷  10丁辺りの残欠石  左右が低く参道は歩き  右端に白い解説板
 10丁?にも「性」が】  「性」の様に見える】  易い、丁石はなし】  その左小さく当石】

写真jimg2383 写真jimg2366 写真jimg2388 写真jimg2392
【37.9丁?南面拡大 【38.9丁?解説板 【39.40m先想定8丁を西に見る 【40.想定7丁を西に見る
 「町」は読める、  9,10丁間の川に埋もれ  右(北)手は山、左側に沢  左の沢からは少し離れ
 発見位置で9丁とす】  ていたとある】  丁石等は見えず】  歩き易い道が続くだけ】

写真jimg2395 写真jimg2399 写真jimg2403 写真jimg2407
【41.想定7丁から20m先 【42.想定6丁を南西に見る 【43.想定5丁を南西に見る 【44.80m程でK-3標識の
 「府営林」目印の札あり  階段が作られるが急坂  足場が悪く地図に無い  鞍部に南を向いて出る
 南西に向きを変える】  ではない、丁石なし】  道筋を辿っているかも】  現白木谷登山道と合流】

写真jimg2414 写真jimg2419
【45.K-3標識より30mの 【46.想定4丁から80mの
 想定4丁辺りを西に見る  白木谷参道合流点を南東
 丁石等は見えず】  に見下す、左が来た道】

 ここから先、月峯寺本堂跡へは、白木谷参道と同じ経路となるので省略します。
 が、前二回の調査で、白木谷参道の6丁石から現5丁石を通らず直登し合流する道の調査が出来て無かった為、ここか
 ら下りながら、調べました。それについては「白木谷道丁石一覧」の方を参照下さい。

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3.【丁石全般】
 1.丁石の起点を「中間の石とは異なり特徴的である」とする考えに従うと、「月峯寺」と目的地を示す「卅八丁」
  丁石としたいのですが、「卅七丁」にもあり、この板碑型の丁石の共通表記では無かったかとすると、適用できな
  い。
   最も遠い数字を持つ事と、想定38丁地点が現在の府道54号(園部能勢線)からの分岐点にほぼ一致する事から
  起点に相応しいとしましょう。
   到達地点(寺は多く本堂)の目安となる一丁は大きな岩に彫り込まれており、最後の丁石として相応しい。
 2.目的地までの残存距離を示す丁石であろう。
 3.現存の丁石の数が少ないものの、二種類の様式がある様に思われ、背面が舟形の角柱と思われるもの四基と、上
  部は前から見ると山型で幅に比べ奥行きが薄い板碑型の二基に分けられる。前者の形状は白木谷道の多くの丁石と
  とよく似ているが、ほぼ原形を留めるのは卅七丁石のみでこれも頭頂部と庇部が少し異なっている。
   見た感じだけですが、板碑状の二基が新しいように見え、同じ板碑の中でも「三十二町」がより新しいか。
 4.碑面上部に梵字を持つものが三基あり(多分キリーク、阿弥陀如来の種子か)が書かれている。これは白木谷道
  の丁石と同様であり、月峯寺の宗旨が元は天台宗(本尊釈迦如来=バン、又は、阿弥陀如来=キリーク)で、応永
  の頃に浄土宗(本尊阿弥陀如来=キリーク)とされている点で問題は無いでしょう。
   但し、「キリーク」の筆跡が異なるものや、日輪で囲まれたものがあるなど、一連(同時作成)の建立になるも
  のではないと思う。
 5.施主又は願主と思われる名前を持つ丁石の残欠石があり、僧侶の様な名前「道性」と読める。白木谷道に同じく
  残欠であるが「性」と読める石があり、不思議なことにどちらも10丁辺りに有る。同一人が複数奉納することは
  時々見られるので同じ距離でもあり、何かと興味が湧く。
 6.参考本には残欠丁石がもう一基載っているが、「XX家墓所」と思われる「XX株墓所」は地蔵堂傍に見つかっ
  たが柵があり調査出来ていません。(「株」は百姓株と思われ「家」と同等であろう。)

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4.【丁石一覧】
能勢町剣尾山下見谷道丁石一覧
丁数北緯東経紀銘願主特徴大きさ地理院地図上の距離
(m)
表示距離
(m)
誤差

(m)
3834.9793147135.420899(月)峯寺 卅八丁
(( )は『能勢の道しるべより)
角柱
上部欠損
寺名を持つ
70x20x13p
(基部19x21x13p、高さ含む)
(右奥行き11p)
移設4142 
3734.971133135.411678        (卅)
(梵字)月峯(寺 七)
        (丁)
(( )は『能勢の道しるべより)
舟底型角柱
寺名を持つ
87x20x13?p(頂高12p)
(基部18x21x11?p、高さ含)
(庇部の巾18p)
(庇部12x18x12p、3p前迫出)
移設4033 
3434.982714135.399441(梵字蓮華座)三十四町
(梵字は径20pの日輪中)
 尖頭型板碑
日輪、蓮華座を持つ
71x26x11p(頂高8p)
(庇18x26x10p、0.5p浮彫)
(上部稜線10p、背面は面取り程度で平面か)
(日輪径20p)
(蓮華6x18p)
移設3706 
3234.971113135.411734(梵字)三十二町 (慶佛)
(( )は『能勢の道しるべより)
慶佛尖頭型板碑128x30x10p(頂高9p)
(基部24x32x12p、高さ含)
(庇21x28x9p、0.5p浮彫)
(上部稜線4p、背面は舟底型か)
移設3488 
10?35.000787135.41249丁 道性道性丁数なし
角柱
上部欠損
37x22x14p
上部奥行13p
10191090-71
9?35.001194135.411637
(「町」の上部も欠ける)
 丁数なし
角柱
上部欠損
背部は丸味
36x23x15p912981-69
135.000795135.405255(梵字)一町… 自然石岩165x180x90以上
碑105x34x-2p
碑面下部8p彫込
(頂部は削取られ、右側面背部は上部に向け削り込まれるか)
1101091


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5.【丁石詳細】


写真jimg2235
卅八丁(南面)
┌――――――――――――――┐
│(月)峯寺 卅八丁     │
└――――――――――――――┘
(( )部は『能勢の道しるべ』より)

写真jimg2270   写真jimg2271
 (南面上部)    (南面下部)

写真jimg2238
卅八丁(東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg2248
卅八丁(北面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg2242
卅八丁(西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg2120
卅七丁(南面)
┌――――――――――――――┐
│        (卅)   │
│(梵字)月峯(寺 七)   │
│        (丁)   │
└――――――――――――――┘
(梵字、キリークは阿弥陀如来の種子)
(( )部は『能勢の道しるべより)

写真jimg2153
 卅七丁(南面下部)

写真jimg2110
卅七丁(東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg2142
卅七丁(北面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg2117
卅七丁(西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg2230
三十四丁(南面)
┌――――――――――――――――┐
│(梵字蓮華座)三十四町     │
└――――――――――――――――┘
(梵字は径20pの日輪中)

写真jimg2265
 三十四丁(南面下部)

写真jimg2240
三十四丁(東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg2247
三十四丁(北面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg2244
三十四丁(西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg2107

三十二丁(上面)
┌――――――――――――――┐
│(梵字)三十二丁 (慶佛) │
└――――――――――――――┘
(( )部は『能勢の道しるべより)

写真jimg2108
三十二丁(上面、暗くしてみたが)

写真jimg2111
三十二丁(右面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg2143
三十二丁(裏面埋没)
┌――――――――――――――┐
│(不明)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg2114
三十二丁(左面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg2332
十丁か(北面)
┌――――――――――――――┐
│丁 道性          │
└――――――――――――――┘
(上部欠損)

写真jimg2333
十丁か(西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg2337
十丁か(南面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg2340
十丁か(東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg2368
九丁か(南面)
┌――――――――――――――┐
│町             │
└――――――――――――――┘
(上部欠損)(「町」の上部も欠ける)

写真jimg2368
九丁か(東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg2371
九丁か(北面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg2373
九丁か(西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘



写真jimg1990
一丁(南面)
┌――――――――――――――┐
│(梵字)一町…       │
└――――――――――――――┘

写真jimg2009
一丁(東面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg2010
一丁(西面)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

写真jimg2015
一丁(上部)
┌――――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘


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6.【地図】
写真jimg1045
【47.能勢町剣尾山丁石地図】

写真eimg9533
【48.能勢町本瀧道丁石地図】

写真eimg9528
【49.川西市新滝道丁石地図】

写真eimg9534
【50.能勢町清滝道丁石地図】

写真eimg9535
【51.能勢町の道標】

写真eimg9532
【52.能勢町今谷道丁石地図】

写真fimg3225
【53.能勢町東部の道標】

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