25.箕面市粟生間谷東5(本成寺)の道標

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箕面市粟生間谷東5−21 本成寺本堂の北東30m(墓地内か?)に西を正面に建つ
(勝尾寺川支流裏川2号橋西詰、青面金剛等と共に西端にある。)
舟底板碑型 97x22x14p(頂高11p)(基礎部32x24x14p)
N34.848089 E135.516427


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西面
┌―――――――――――――――――┐
│右  山             │
│       道         │
│左 佐甫 国見          │
└―――――――――――――――――┘
(「佐甫 国見 道」はくずし字)

北面
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では、76)
(同書では「佐甫」は茨木市の「佐保」としている。「国見」はその北東、同市大岩辺りであろうか。
 明治の地図で見ると、現在地より北東160mに三ツ辻が見え、西から来ると、右(南東)へ山道を登る
 ものと、左(北東)岩坂に続く道が、分岐している。現在は宅地開発されて、箕面市粟生間谷東7丁目6
 となっているが、此処だけ道の向きが南東になっており、道標の示す、山道の名残なのかもしれない、
N34.849259 E135.517528
 辺りになるか。この地に西面して建っておれば、案内通りと思われる。
  尚、上記の地点から南西に続く道は現在も残っており法泉寺の西を廻り込み「粟生間谷東5の道標」
 のある辻に出てくる。
 北東への道は、現モノレールで残っておらず、終点彩都西駅の北、岩坂自治会館の西へ続いていたと思
 われる。)

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【1.本成寺山門を北に望む 【2.本堂を北に望む 【3.道標を東に望む
 右側に駐車場  右、本堂と白壁の  左端最も奥
 道標へは山門を入る】  間を北東に廻込む】  石垣の右が当道標】

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【4.道標を北東に望む 【5.西面の拡大 【6.東面上部を見る
 奥は行止りとなり  右「山」楷書に対し  舟底型を成し
 道では無さそう】  左は流麗な崩し字】  西面以外粗削り】

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【7.箕面市の道標】
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