88.金竜寺丁石建立紀銘石

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高槻市安満御所の町2の西 府道79号安満御所の町北交差点を北に70m
山形板碑 105x表面32(裏面31)x18p(頂高7p、稜線1p下る)(碑面龕部85x24x-1.5p)
N34.867192 E135.629891


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東面
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│    従是到山上龍池十三丁因茲表石彫十三佛種子│
│    以令人結永劫不壊勝縁仰願登山尊早一見種子│
│(梵字)                    │
│    摧破無明十界俗正自歸本元而巳      │
│    延寶丙辰暦卯月十四日邂逅山住法印澄賢立之│
└――――――――――――――――――――――――┘
(梵字はカーン「不動明王」の種子)

北面
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│(なし)                    │
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西面
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│(なし)                    │
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南面
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│(なし)                    │
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(延寶四(丙辰)年五月十四日は西暦1676年6月25日木曜日となる。)
(十三仏とは、「亡くなった人を浄土に導く13の仏、不動明王に始まり虚空蔵菩薩で終わる。」らしい。)
(東面を読み下してみたが、あまり当てにならないと思う。
 「これより、山上龍池、十三丁、よって、ここに、石の表に十三仏の種子を彫り
  もって、人を永劫に壊れないよい縁に結びせしむるをあおぎ願い、山を登り、尊く早く、種子を一見すると
  無明を砕き破り、十界の俗正を、おのずから、本元に帰すのみである
  延宝ひのえたつ年(四年)五月十四日、邂逅山に住む法印の澄賢がこれを立てた」
 即ち、「山上の龍池までの十三丁に、十三の尊い仏を石に刻んで建てたので、拝みながら登ると御利益があり
 ます。」と解釈すれば、やはりこれが一番目の丁石とみなす事ができそうである。
 「山上龍池」は『攝津名所圖會』.[6]のコマ番号57にある、「邂逅池、本堂南西にあり、池中に弁財天社あり
 …金龍池ともいう」に相当するか。現在の十三丁丁石は、図会に描かれた「弁天池」コマ59の東に建っており、
 符合する。)
(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、未記載であるが、「金竜寺二丁丁石」の項に、
 一丁と三丁が遺失とあるが、この石が、二丁丁石からほぼ80m(約1丁)南の地点にあり、当石碑に書かれ
 た梵字(カーン)が一番目の不動明王に当たる事から、十三仏に因んで建てたとするなら、一丁丁石は元々な
 く、この石から始まったとすれば、「三丁」だけが無くなった事になる。「金竜寺二丁丁石」も合せて、ご覧
 ください。
  因みに、『高槻まちかど遺産』高槻市立しろあと歴史館発行、平成29年刊では、60、「金竜寺への一丁石」
 として載るが「一丁」の文字はどこにもない。)
 尚、「金竜寺丁石一覧」も参照下さい。)

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【1.標石を北に望む 【2.標石を南に望む 【3.標石を北東に望む
 奥、金竜寺へ  奥(南)府道79号へ  右坂上、公園墓地へ
 右、公園墓地へ】  右、成合南の町方面へ】  金竜寺跡は正面山向】

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【4.東面下部拡大 【5.標石上部を南西に望む 【6.西横の『まちかど遺産』
 「従是…」とあるので  一連の丁石より大きいが  「金龍寺への一丁石」
 参道起点か】  稜線の下降等同じ特徴】  としているが】

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【7.金竜寺参道地図】

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【8.高槻中部の道標】
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【9.高槻南部の道標】
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