27.池田市伏尾町100の道標

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池田市伏尾町100 東西に通る余野街道から北西に分岐する三叉路の北部に西を正面に建つ。
(余野川がU字に蛇行する所、余野街道は直線的に東西に走る。八千代橋を東に渡り三叉路北側。)
卵型縦半割風 90x51x下部37p(文字面内法54x30p)
N34.858783 E135.446152


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西面
┌――――――――――――――――――――┐
│         寛文十庚戌年     │
│ 梵字(サ)   右ハかめ山道 □   │
│梵字(キリーク)南無阿弥陀佛      │
│ 梵字(サク)  左ハ久安寺道 □   │
│         十一月吉祥日     │
└――――――――――――――――――――┘
(□□は、「教石」か、「紋石」か)
(梵字サは、阿弥陀三尊の観世音菩薩か?)
(梵字キリークは、阿弥陀三尊の阿弥陀如来か?)
(梵字サクは、阿弥陀三尊の勢至菩薩か?)

誤り、東(うら)面
┌――――――――――――――――――――┐
│□為                  │
│志之衆中                │
│長為                  │
│長`了                 │
└――――――――――――――――――――┘
(□は、「西」又は「五」か)

訂正、東面
┌――――――――――――――――――――┐
│ □…門                │
│志之衆中                │
│ 長ヱ門                │
│ 秀郎                 │
└――――――――――――――――――――┘
(□は、「五」又は「原」か)


(寛文十(庚戌)年十一月1日なら、1670年12月13日、土曜日となる。)
(久安寺ホームページに「阿弥陀如来坐像(国指定重文)を本尊」とある。)
(東面は草書体の為、不正確である。)
(『池田を歩く』市教育委員会平成16年では27)
(同書に、「年号が刻まれた道標の中では、大阪府下最古級」とあり、梵字は、阿弥陀仏、および阿弥陀
 三尊をあらわす。としている。池田市域では寛文年間の道標が他に三基もあり、よく保存されている。
 尚、寛文年間の銘の有るものは、
 1.宝塚市安倉南4姥ヶ茶屋の道標       (寛文8年1668年)
 2.伊丹市北村の寛文九年道標          (寛文9年1669年)
 3.池田市東山町寛文十年の道標        (寛文10年1670年、2月)
 4.池田市伏尾町100の道標(当道標)     (寛文10年1670年、11月)
 5.池田市木部町3三基の内西側の道標    (寛文12年1672年、9月12日)
 6.池田市畑4の道標                (寛文12年1672年、9月)
 7.川西市加茂2の道標               (寛文12年1672年)
 8.箕面市西宿1(箕面山へ)の道標       (寛文12年1668年)
 がある。)
(自然石としなかったのは、背面にも文字があり、その為に表面も加工されているように見えるから。)
(明治の地図で見ると、現在の国道にあたる道も見え、当時でも旧余野道であったと思われる場所にあり、
 「右かめやま道」は、26.池田市伏尾町14の東山中の道標へと続く小径を示しているらしく番匠屋橋
 を渡ると東の谷に入って行く。(その先、現在は砂防ダムあたりで道が途切れている。)
 「左久安寺道」は現在でも、100mで国道に出て、道の北側が久安寺の山門となっている。
 案内に疑問な点はなく、元の位置にあると思われる。但し道は拡張されており、或る程度は移動してい
 るであろう事は、背面の字が読めない位置に置かれている事を見ても明確である。)
(ここより、西に八千代橋を渡り、70mで青面金剛と庚申堂があり、横に余野街道の解説板が立てられて
 いる。北(図で下)への点線で描かれた、明治の道は、そのまま北、現霊園のある方向への道は無く、
 途中東折れし上記26道標へ続くであろう道も、マンション敷地内の為通れない。)

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【1.八千代橋から道標を東に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を北西に望む
 橋の向う石垣右下に道標  手前左は久安寺へ  奥(北西)は久安寺へ
 奥(東)へ旧余野道】  左奥(東)旧余野道】  右端の坂は民家へ】

写真dimg3621 写真dimg3643 写真dimg3631
【4.庚申堂横の案内図 【5.西面の拡大 【6.道標を上部から
 東へ点線がより古い旧道  前面を削り(下一部残)更  上が西(正)面
 下(北)点線は明治の余野道】  に文字面は一段彫り込む】  下の面にも文字有】

写真dimg3634 写真cimg7305
【7.道標背(東)面 【8.池田北部の道標】
 四行に彫られている
 二行目左にメジャーがある】

2022年6月追記
 前回より条件の良い写真が撮れ、読み下しに誤りを見つけました。完全に読めてはいないが一部訂正します。
 東面の中央に「志之衆中」とある事から、左右に三名の名が記されるとした。「つ」の様に見える文字を「門」の
 くずし字と見て読み直した。左端の「長了」に似た字は僧侶でも無さそうなので「秀郎」のくずし字といました。

写真iimg6595 写真iimg6601 写真iimg6620 写真iimg6621
【9.東面拡大 【10.東面変形 【10.西面の拡大 【11.同西面の拡大
 願主、施主にあたる  読みやすいかと  「阿弥陀佛」の左右が  「寛文十」下の干支も
 四行の記述であろう】  変形等してみた】  やはり読めない】  怪しいが大丈夫であろう】

写真iimg6608 写真iimg6610 写真iimg6611
【12.東面左部 【13.東面中央部 【14.東面右部
 「長ヱ門」  「志之衆中」は変わらず  「□…門」は「原ヱ門」
 「秀郎」とした】  賛同中間達であろう】  「五右衛門」等か】
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