35.伊丹市北村の寛文九年道標

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伊丹市立博物館蔵@。
伊丹市北伊丹2丁目57にあった
(花崗岩 角柱型 高97p,25p角 下部欠損 昭和47年収蔵 『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』より)
N34.80944 E135.3815


(写真右側明度加工の為線が入って見える。)
写真dimg0405

写真dimg0414 写真dimg0415 写真dimg0416

写真dimg0413

正面
┌─――――――――――――――┐
│ 右 ひやうこ にしのミや  │
│南無阿弥陀仏       道 │
│ 左 あまかさき いたみ   │
└―――――――――――――――┘

左面
┌─――――――――――――――┐
│          施(主) │
└―――――――――――――――┘

右面
┌─――――――――――――――┐
│(寛文九年)         │
│ (己酉 三月朔日)     │
└―――――――――――――――┘

裏面
┌─――――――――――――――┐
│(不明)           │
└―――――――――――――――┘


(寛文九年三月朔日は1669年4月1日月曜日となる。)
(『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』に、「在銘の道標としては県下3番目…、
 最古は「宝塚市安倉姥ケ茶屋道標」…同年造建の「安倉北道標」は不明とある。)
(寛文年間に建立のものとして下記がある。)
1.宝塚市安倉南4姥ヶ茶屋の道標       (寛文8年1668年)
2.池田市木部町3三基の内西側の道標   (寛文12年1672年)
3.川西市加茂2の道標              (寛文12年1672年)
4.箕面市西宿1(箕面山へ)の道標      (寛文12年1668年)
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【1.宝塚市安倉南4】 【2.池田市木部町3三基の内西側】 【3.川西市加茂2】 【4.箕面市西宿1】

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【5.博物館の街道と道標】 【6.伊丹市中央部の道標】

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【7.元位置、西国街道から南西を望む 【8.山崎通分間絵図
 正面民家の前あたりか  『伊丹古絵図集成(本編)』参照】
 左尼崎伊丹道、右西国街道の昆陽へ】

(『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』の写真(ほぼ上記の様)の説明に、
 「正面角地 道標跡」「左池田道 右西国街道」とあり、
 『広報いたみ』55年12月15日号には
 「猪名川から旧西国街道を西へ向かい、国鉄福知山線をこえて少し行った所(北伊丹二丁目)
 伊丹道への三差路に建っていた」ともあるので、三差路の西部に、東を正面に建っていた
 ものと思われる。
 左の道950mで、「北本町1の道標」に当る。
  山崎通分間絵図、北村にある「道印石」はこれか。)
(「山崎通分間絵図」は東京国立博物館アーカイブ『山崎通分間延絵図全1巻』本文23
 見ることが可能。)
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