15.池田市木部町3三基の内西側の道標

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池田市木部町3、道の南は新町6、能勢街道に阪神高速池田線の高架が掛る少し南側、
現能勢街道から、旧街道と思われる細道が東に分岐する北側地蔵堂前に、南を正面に三基建つ
2.西側(左端)最も低い
尖頭形角柱 76x南面24x21p(頂高12p)
N34.8315468 E135.4244943


写真dimg3121

写真dimg3103

写真dimg3116 写真dimg3115

写真dimg3135

南面
┌────――――――――――――――┐
│    右ハ 久安寺道       │
│南無阿弥陀佛 カクヤ 久西     │
│    左ハ 銀山道        │
└――─―――――――――――――――┘

東面
┌────――――――――――――――┐
│  寛文十二壬子          │
└――─―――――――――――――――┘

西面
┌────――――――――――――――┐
│  (九月十二)          │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(( )部は『池田を歩く』市教育委員会平成16年、16より)
(同書に「寛文十二」「九月十二」とあり、拓本も載せられており、間違いはないであろう。)
(寛文十二(壬子)年九月十二日なら、1672年11月1日、火曜日となる。)
(『川西の道標を訪ね歩』荒木勉平成20年では、bP.川西市加茂2の寛文十二年道標の説明でこ
 の道標と同一人物が同時に建立としている。「カクヤ 久西」が偶然の一致とは考えにくいので、
 同一人物とし、川西の道標で問題とした「カタヤ」は「カクヤ」としたい。
  川西の追刻と思われる面を除いて、両者を比較すると、文字の配置や意匠も同じと出来るが、
 幅だけが、此方の方が3p程広くなっている。石質の比較は出来ていません。
  建設日に関しては、これが「十二」、川西が「十五」とされているので、読み違えか、三日の
 差異が実際にあったのかは不明である。
 「久西」ではないが、同一人物の建立で、ひと月差の、丁石と道標が宝塚にあり、数日の誤差の
 道標の例となるのか。72.宝塚市中山荘園4の道標参照。)

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【1.国道173号より 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む 【4.西側二基の道標を北に望む
 道標を北東に望む  左(西)端が当道標  後ろはR173号と阪高  左(西)が当道標】
 青い看板の左祠の前】  右分岐の道が旧余野道】  左池田へ、左端が当道標】

写真dimg3130 写真dimg3127 写真dimg3122 写真cimg7300
【5.東面下部拡大】 【6.南面左下部拡大】 【7.南面右下部拡大】 【8.川西加茂2の道標】

写真cimg7305
【9.池田北部の道標】
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