13.豊能町高代寺の一町丁石

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豊能町吉川756 能勢電妙見口駅東、花折街道の山浦橋南詰から分岐する参道の入口の北部に南を正面に建つ
舟底型 102x36x32p(頂高14p)
N34.912134 E135.445379


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南面
┌―――――――――――――――――――┐
│     七宝山 慶安三年 立@   │
│(梵字)一町従是十二町法印秀栄川秀A │
│     高代寺 卯月八日 之B   │
└―――――――――――――――――――┘
(梵字「べイ」は、薬師如来の種子か)
(@は「乎」、Aは「栄」、Bは「二」に見える)

東面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

北面(写真無)
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘


(慶安三(庚寅)年四月八日は、西暦1650年5月8日、日曜日となる。)
(『石の文化財』豊能町教育委員会発行、平成28年改訂では、64頁。)
(同書の南面中央下部の読みとしては「…法印秀栄□」としており、「川」とはしておらず、その下の文字に関しては
 書いていない。ここでは、「川」としたがその下に又「秀A」と名前が続くようなので、「同」として、「法印」を
 表わすものかも知れない。ただその場合に、その下を「秀栄」とした場合、同名が続きおかしい。追刻、或いは改竄
 の可能性もあり。)
(同書には、「ここから始まる七宝山高代寺への表参道の第一番の町石である。…合計十二基(内五、十、十一町不明)
 の町石が建てられている。」としている。丁石は本堂までの残距離を書くことが多いと思うが、これは進んだ距離を
 示すものらしいが、起点が1、となっていることから、1丁目の石ではなく、1番目の石と理解する必要があり、そ
 の後一丁毎に2、3…と印したものを立てたものであろう。起点=0丁の発想が無く、=1丁は無理からぬものかも
 知れない。
 依って、当丁石を参道の起点とし、12基が一度に建てられたものとする。但し、途中の石に形状の異なるものもあ
 り、現存するものが全て当時のものかは分からない。又、十、十一丁が見当たらないのは、当時の道と、現在の道が
 付け換わっている為ではないかと考える。現十二丁石がある地点から下方に続く道が無くなっており、地形的にみて
 現九丁石から南西に廻り込む現在の道に続くとは思えず、そのまま直線的に南方に下るか、蛇行(距離的にはこちら)
 しながら九丁石へ下っていたと考えられる。明治の地図でもそのように受け取れる。このルートは崖崩れ対策か棚状
 に治山されており、道が無くなっている様に見えるため未調査である。)
(この丁石から次の「二町丁石」までは150m程有り、丁石の厳密性から見て、元の位置ではないとしたい。明治42
 年測図の地図でも、今の位置に辻がある様書かれているが、更に昔の江戸時代(慶安三年)には、現、吉川公民館前
 の西側にある石垣の角辺り
N34.912655 E135.445415
 から、西に分岐し上部の道に出ていたとすると、二町丁石までピタリ1丁となる。(今でも道の痕跡が残っている。)
 「二町」を動かさずこの丁石を移動させるのは、この間だけが長くなっている為で、他の丁石全てを移動させるより
 も現実的である。)
(厳密な意味での移設を見れば、下の大理石の新しさや、橋の新しさを考えると、道拡幅も含め移動は免れないが、そ
 れよりも、底面の平坦さが気になる。台石に載せる場合この高さの石であれば臍(ホゾ)にはめ込む形をとると思わ
 れ、碑面の文字の下は少し開けられる事になるが、新しい大理石に密着させる為か、下部が削り取られたように見え
 る。「十二町」の底面と比べてみて下さい。
 【追記】
 参考資料として、『大阪ミュージアム』のサイトの「まちの魅力づくり」「平成25年度」「花折街道沿道の魅力向上
 事業」の中にある「BEFORE」の写真を見ると、当辻にこの丁石はなく、「AFTER」には載るので、平成25(2013)年
 6月1日から平成26年3月24日の間に、移設、或いは再建されたものと思われる。)
(『石の文化財』では、梵字の読みを「バイ」薬師如来としているが、「ベイ」薬師如来とした。)
「豊能町高代寺丁石一覧」も参照下さい。)

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【1.丁石を北西に望む 【2.丁石を北西に望む 【3.丁石を南西に望む
 右、ロープウェイ駅へ  奥(北西)高代寺へ  右欄干裏に丁石
 左(北西)高代寺へ】  丁石には一部墨が入る】  奥(南)30m妙見口駅】

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【4.丁石南面の拡大 【5.丁石上部より見下ろす 【6.六丁石を過ぎて建つ案内板
 全行程12丁のうち  自然石ではなく  12基が建てられたとするが
 此処が1丁を示す?】  全ての面に加工あり】  現存(2018年)は9基】

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【7.丁石南面下部拡大 【8.「十二町」丁石の下部 【9.元位置?を北に望む
 墨が入っていないが  「…秀栄立之」一字分  左に登り二町へ
 幾つかの文字が見える】  以上の空白がある】  石垣上に参道が見える】

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【10.豊能町の道標】 【11.高代寺丁石地図】
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