3.芦屋市春日町3の道標

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芦屋市春日町3−17 東西の道(鳴尾御影線)に南北の道が交差する四辻の北東部に南を正面に建つ
(阪神打出駅北40m)
自然石 164x68x75p
N34.732189 E135.315814


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南面
┌――――――――――――――――――――┐
│平城天皇第四皇子 是ヨリ五丁      │
│ 阿保親王廟              │
└――――――――――――――――――――┘

東面
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│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

北面
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│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


(先ず阿保親王は、平安遷都で有名な50代桓武天皇、その子51代平城(へいぜい)天皇の第一皇子であった様で、
 承和9年10月22日(グレゴリオ暦842年12月1日、ユリウス暦842年11月27日、月曜日)51歳で死亡と『前賢故実』
 28頁等にある。埋葬地が此処なのであろう。)
(阿保親王塚は此処から北へ660m(六丁強)。移設されたか、塚の規模が変ったか、或いは、塚の南に廟があっ
 たのか。いろいろ推測できる。)
(明治の地図では、北130m(打出天神南)の所に四つ辻があり、そこからだと530mとなり五丁(545m)
 に近いが案内を建てるには余り相応しくない。丁石で無いとして、距離を少なくしたものか。)
(阿保親王塚は国立国会図書館デジタルコレクションの「摂津名所図会」.[11]兎原郡の26コマにも載り、
 その案内には「打出村上方二町許にあり…」とある。又、28コマの絵図から判断すると本海道からは大部離れた
 印象であるが、金津山の西を廻り込み、打出天神の西から現山手幹線の交差点へと続く道は今も変わらず一本道で
 ある。)
(250m北に「親王墓三丁の道標」があり、多分少し北に移設と思うが、それもやはり丁石とすると距離が少ない。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を東に望む
 右端が当道標  奥(北)650mに塚  左(北)阿保親王塚へ
 左(南)打出駅へ】  背後、阪神打出駅】  奥、鳴尾御影線夙川へ】

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【4.道標南面右上部 【5.道標南面右中部 【6.道標南面右下部
 「平城天皇第四皇」  「第四皇子 是」  「…是ヨリ五丁」
 と読めるか】  と読めそう】  は間違いない】

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【7.芦屋市の道標】
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