1.芦屋市春日町17の道標1/2

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芦屋市春日町17−6 旧西国街道と思われる東西の道に南北の道が交差する筋違い四辻の北西部に南を正面に建つ
(北側に通る広い道(鳴尾御影線)を20m南に入った地点、マンションの南東敷地内)
(複数の地蔵の東側に建つ。西隣の大きな「地蔵」にも案内がある。)
尖頭型角柱 46x16x16p(頂高1.5p)上から41pで折損
N34.733172 E135.320189


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南面
┌――――――――――――――――――――┐
│右 西宮道               │
└――――――――――――――――――――┘

東面
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│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――――┐
│ 丹ъb比須村             │
│     亀□             │
└――――――――――――――――――――┘
(「пvは「州」の異体字、「恵比須」は変体仮名か)

西面
┌――――――――――――――――――――┐
│左 中山道               │
└――――――――――――――――――――┘


(明治の地図では、西の打出の集落から来た道がここで左(北)方向に分岐し森具へ続く小径が描かれており、東へ
 直進すると香櫨園駅の南を通り西宮へ通じる西国街道と成っている。その辻の位置は20m程北西であったように受
 け取れ、移設されていると思う。辻の形状からして現在の南面が南西面(時計回りに45度)していたと考える。
  左(北)へ進めば、森具、夙川不動明王、川を越え西宮市寿町から越水と続けば旧の西国街道で中山寺に至る。
 旧西国街道の道筋は、此処を挟み200m程度しか残らず、西は民家で、東は阪神電車の線路で途切れている。
  尚、明治の地図ではこの辻の東200mの三ツ辻(阪神電車の南側)から海岸寄りを西に続く道を「西国街道
 (多分国道)」として描くが、「天保国絵図」ではこの道標のある道を太い朱書きで表現し、上記国道筋は細線と
 しており、当道標の建立時期は明確ではないものの江戸期として、当時の主要道に建てたものであろう。)
(北面の施主の住所の「恵比須」を「えびす」とし、国立公文書館デジタルアーカイブの「天保郷帳」の74コマに
 ある「天田郡野花村枝郷、夷村、192石…」と見なせば、現在(2020)の京都府福知山市字夷辺りとなるか。
  ここならば「天保国絵図」にも載り「丹пvは丹波国となる。)

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【1.道標二基を北西に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を南東に望む
 右端当道標、信号の  右端が当道標  奥(東)阪神で行止り
 左右は鳴尾御影線】  北20m、鳴尾御影線】  右、打出春日町踏切へ】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南面拡大 【6.道標西面拡大
 左、三ツ辻に突当る  西宮なら東か  「中山」は北の森具方面へ
 左大きい地蔵も道標】  現状東は行止り】  旧道はほぼ残らない】

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【7.道標北面拡大 【8.道標北面下部 【9.旧道辻辺りを北西に望む
 「丹ъb比須村」  「亀□」が施主なら  堀切川西から線路の北へ
 は「夷村」か】  「亀助」などか】  分岐し西へ200mで当道標】

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【10.芦屋市の道標】
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