1.神戸市須磨区須磨浦通4の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
神戸市須磨区須磨浦通4丁目8 国道2号線千守交差点西30m道北側(村上帝社の南)鳥居の西下に南を正面に建つ
角柱 110x24.5x21p(西面下20p)(上部は水平でなく、水切高さ1p)
N34.643719 E135.114711


写真himg1380

写真himg1381

写真himg1382

写真himg1665

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│村上帝社 琵琶達人師長       │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│右 川西 隠江           │
└――――――――――――――――――┘
(「隠江」は(こもり江)と読むか)

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│左 巳之日祓社 上野岡道      │
└――――――――――――――――――┘


(村上帝社は当道標の30m北にある社で、須磨観光協会によると「平安時代の琵琶の名人藤原師長(もろなが)の故事
 に因み土地の人々が村上天皇を祀った」らしい。よって社標に近いが西面は道標と成っている。)
(「巳之日祓社(みのひはらい)」は関守稲荷神社らしく、須磨観光協会HPに「「源氏物語」で光源氏が須磨に退居
 していた時、巳の日祓をしたところをここになぞらえ「巳の日稲荷」とした」とある。道標西の道を北に150m程の
 須磨区関守町1丁目3−20にあり、「左」は境内を抜け西の道に出るか、10m西の道を北に折れるかの何れに
 採ってのも案内としては可であり、現在では山陽電鉄のガードを潜る道を示すと思われる。「上野岡道」は須磨寺
 の正式名が上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)で、これを案内したものと考える。国立国会図書館デジタ
 ルアーカイブの『攝津名所圖會』. [10]のコマ番号37にある案内にも
 「上野山福祥寺(うへのさんしやうふくし)西須磨上野にあり、街道より二丁を経て橋ありしこれより二王門に至
 る。」とある。「上野」は地名でもあったようで、「岡」と付くなら特に寺と限定せずともよいかもしれない。)
(東面にある「右川西 隠江」は国立国会図書館デジタルアーカイブの『攝津名所圖會』. [10]のコマ番号14の絵に
 「こもり江」がありこれであろう、40コマの解説には『須磨隠江(すまのこもりえ)』として「源光寺の西にあり
 今は田圃となりて名のみ残す」とあり位置が明確でない名所を案内するものと思われる。依って「右」は西国街道
 を北東へ進み、当道標とよく似た表現を持つ「関守町1の道標」の元位置とした北東60m辺りの辻で川を東に渡
 らず、川に沿って北(今の千森線)へ進む案内と受け取れる。今では川は暗渠になり「川西」は把握できないが道
 の西側であろうか。)

写真himg1378 写真himg1377 写真himg1379
【1.道標を東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を東に望む
 左奥(北)村上帝社  奥(西)水道筋へ  左南西角は春日神社
 背後、西国街道】  左、烏帽子町へ】  右祠内に当道標】

写真himg1385 写真himg1388 写真himg1390
【4.道標西面上部 【5.道標南面上部 【6.道標東面上部
 「左 巳之日祓…」  「村上帝」は  「右 川西」は
 と読める】  村上天皇か】  何処を指すか】

写真himg1396 写真himg1389 写真himg1391
【7.道標西面下部 【8.道標南面下部 【9.道標東面下部
 「上野岡」と  「琵琶達人師長」  「隠江」は
 読める】  と読める】  「こもり江」と読む】

写真gimg6519
【10.神戸市南西部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ