25.豊中市小曽根3の道標

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豊中市小曽根3丁目14−1の東側、名神高速の南側で高川の西堤防に建つ
ドーム型角柱 東面中央63x東面24x19p(頂高5p)(像部22x18x3p)
N34.759848 E135.487816


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東面
┌─――――――――――――――┐
│   右 加川王うし     │
│(馬頭観音立像)       │
│   左 みのをいけ(た)  │
│     多田 中(山へ)  │
└―――――――――――――――┘
(変体仮名で「加川王うし」は「かつわうし」、「勝尾寺」か)

北面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(( )部は、近畿の歴史の道2 p407 より)
(『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編では、B3_79
 同書には、「当初はここから左右に道が分かれていたらしく、…」としているが、
 明治の地図では現地点に道は見えず、四辻と思われる地点は、現地点から80m北(高速のすぐ北)で西に
 旧吹田街道とされる道が見え、今も残っており、東への道もある、小曽根2丁目19の東
N34.760588 E135.487927
 辺りが元の位置かと思われる。高速道路建設時に、堤防上の道が分断される事等により、やや南に移動され
 たのではないかと思う。
 更に、もう少し広い道の分岐点を探すなら、現地点より南450mの小曽根5丁目
N34.755780 E135.487030
 辺りで、五畿内志にある「吉野領(道)」が堤防上の道から西に分岐しておりここの可能性もある。この地
点は別項「10.豊南町西1の行者道標」(同書のB4_13)の元位置候補でもある。)
(道標は、土手の傾斜地に建てられており、西端の高さが高くなる。上記の高さは東面の中央部を測定した。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を南東に望む 【4.道標を北西に望む
 道標は中央の木の  道標は右端の木の右  道標は左端  奥(北)小曽根へ
 後ろで見えず】  左後方名神高速】  奥(南)目いぼの渡しへ】  後方名神高速】

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【5.東面拡大 【6.東面下部拡大 【7.東面上部拡大
 「右 加川を…」  「…うし」  馬頭観音像とされる
 「左 みの…」  「いけ…」  憤怒相までは見えない】
 「多田 中…」】  「中…」と見える】

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【8.元位置1?を北に望む 【9.元位置2?を北に望む 【10.豊中南部の道標】
 左坂を下り西に松林寺へ  小曽根5丁目
 右階段を登り江坂へ】  高川西岸の辻】

 2025/4/7 (訂正)
 2025/4月現在、移設はされていないが、設置の向きが変わっていた為、現方向に変更。
 以前の南面を、東面(反時計回りに90度回転)とし、各方向の記述を訂正する。
 道標の下部は以前より埋っている様であるが。高さの値は元のままとしておく。
 現状写真を追加する。以前の写真は2014〜2015年である。

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【11.道標を北西に望む 【12.道標を南に望む 【13.東面拡大 【14.東面下部拡大
 土手西斜面に東向きに  右岸上の道は名神を避  馬頭観音像は見易いが  「右 加川を…」
 見上げる様に建つ  けて堤防下へ下るが  道案内は意味をなさず  「左 みのを…」
 以前は南面であった】  名神以前は堤防上】  以前より深く埋る】  左端「多田…」】

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