10.尼崎市食満6の題目塔道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 尼崎市食満6丁目の西明寺門前、南西側に南を正面に建つ
尖塔型角柱 135x30.5x30.5p(頂高5p)、台石41x南面59x60p
N34.756877 E135.43797


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                       [台石]南面
南面                     ┌─―――――┐
┌─――――――――――――――――――――┐│      │
│圓光                   ││下食満村  │
│   舩中御自作二祖尊像         ││      │
│大師                   ││西明寺   │
└―――――――――――――――――――――┘│      │
                       └――――――┘

                       [台石]東面
東面                     ┌─―――――┐
┌─――――――――――――――――――――┐│      │
│                     ││大坂    │
│南無阿彌陀佛(蓮花像)          ││   講  │
│                     ││万人    │
└―――――――――――――――――――――┘│      │
                       └――――――┘

北面                     [台石]北面
                       ┌─―――――┐
┌─――――――――――――――――――――┐│ 久々知氏 │
│                     ││      │
│寛保元辛酉年六月日            ││願主立売堀 │
│                     ││ 河内屋  │
└―――――――――――――――――――――┘│  嘉兵衛 │
                       └――――――┘

                       [台石]西面
西面                     ┌─―――――┐
┌─――――――――――――――――――――┐│      │
│天下太平  河邊郡内三十三ヶ所廿一番札所 ││      │
│      是より半町東へ入       ││(なし)  │
│國土安全  寺より□□□ちかミち阿り   ││      │
└―――――――――――――――――――――┘│      │
                       └――――――┘
(半町を壱町とする資料があるが誤りであろう。)
(□□□は順に「に,た」、「ふ,ゝ,多」、「尓,ん,免」に似る)


(寛保元年六月1日なら、1741年7月13日木曜日となる。)
(現在は寺標として、門前西に建つが、西面の案内を見れば、移設は間違いない。明治の地図で見ると、瓦宮から
 階段状に折れ曲がりながら、北西に進む有馬道が、この下食満集落の南西を通過しており、下食満から口田中へ
 繋がる道と四辻を成している。食満7丁目24辺りの
N34.755987 E135.436110
 ただこの地点から寺までは200mとなり、半丁では足りず、二丁とすべきで、方向も「北に入る」ように思われ、
 疑問が残る。此の四辻を北に入り50m進んだ地点で、更に東に分岐する三叉路があり、この地点ならば150m
 (1.4丁)の距離となり、「壱町」の表現ならば、方向も「東に入る」でよいが、半町の地点には辻も見えない。
 取敢えず他の資料にあった「壱町」を正しいとし、この地点、
N34.756442 E135.436350
 辺りに建っていたものとすれば解決するが、明らかに「半」であり「壱」ではなく、これも出来ない。
  では、文章の解釈を、「道標から、半町進んで、そこで、東に折れる(入る)ととり、半町は寺までの距離で
 はなく次の分岐点までの距離。」とすれば、最初に挙げた地点が相応しい。依って有馬道に建っていたとする。)
(西面の「寺より」の下「ちかみちあり」までの間であるが、この西明寺は川辺西国観音霊場の21番札所とされ、
 22番は尼崎市猪名寺の法園寺、20番は尼崎市久々知の円安寺のようで、次の参詣地への近道が考えられるが、
 西明寺から、この両寺への近道は無く、候補では無さそうである。
  地理的に見て、近場の地名候補としては、瓦宮、穴太、椎堂や、遠くは服部なども考えられるが、「北…」と
 読み下せば、単に方向等を示しているだけかも知れない。
 昭和2年発行の地図には、寺から東に真っすぐ藻川を渡る道が書かれており、穴太や、川向うの地へは、宮園橋
 を渡るより近道となる。
 「ちかみち」の表現は他に、「27.宝塚市中山寺山門前(東側)の道標」がある。)

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【1.寺への入口を東に望む 【2.同左より北を望む 【3.同左より北を望む 【4.当道標を北に望む】
 新幹線の北東側側道  左(西)高架は新幹線  正面やや左に
 から東に進入する】  右40mを更に北入る】  寺の門が見える】

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【5.西面4枚合成し
 変形、明るさ、
 コントラストを変更】

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【6.尼崎の道標】
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