41.宝塚市安倉中2住吉神社の道標

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宝塚市安倉中2の住吉神社の境内南部に灯籠に挟まれて、北を正面に建つ
(神社の東に尼崎方面から宝塚小浜宿、及び有馬道(中山寺方面も)との合流点に続く道が通っており、
神社のすぐ北で、両方面に分岐する。そこには道標(40.安倉中2の道標)があったとされる。)
自然石 47x北面34x20p
N34.79971 E135.37206


写真cimg2074

写真dimg2142

写真dimg2143

写真dimg2141

自然石に一面だけ刻字されている。

北面
┌─――――――――――――――┐
│右 尼ヶ崎          │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

東面、南面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(道路に面していない為、移設されたものと思う。
 左の記述が無いところを見ると、神社入口(鳥居)の東部辺りにあったものか。)
(『たからづかの道標』(昭和61年刊)3では、
 「小浜方面から西野(伊丹市)を経て尼崎に至る道の分岐点に立っていたもの
 と考えられる。」とある。
  これを明治の地図から想像すると、神社より南では、南200mに東方向へ鳥嶋
 の集落に分岐する三叉路が見て取れる、真っすぐに南へ向かう道を、伊丹市立
 博物館の解説では小浜道としており、この三叉路の南東又は北東部に西を向い
 て立っておれば、右尼崎は、この小浜道を指すことになり相応しい。
 神社の南の近辺では、この一か所しか見当たらない。
  北側を見ると、一つは、鳥居の北30m(40.安倉中2の道標があったとされる)
 三叉路、南北の道(小浜道)の東部に西面か、その北50m、同じく三叉路の二点
 が考えられる。
  最初に述べた、鳥居の東一点、南一点、北二点の中で、人の動線と案内の必要
 性、移設の距離を考えると、鳥居の北30mの三叉路の東部に西面(或いは北部に
 西面)していた、とするのが最善のように思われるので、
N34.799995 E135.372246
 辺りとしたい。
  即ち、小浜南口から、有馬道を通らず、安倉の村をバイパスしてきた人に、小
 浜道を尼崎方面にいざなう案内としたい。)

写真dimg2134 写真dimg2146 写真dimg2159
【1.鳥居より西に道標を望む 【2.元位置の候補bP、 【3.元位置候補bPを
 左端灯篭の右下に道標、  (『たからづかの道標』で  南東に望む、左右が小浜道
 右(北)枠外に社殿がある。】  40.安倉中2の道標が元あった  正面辺りに有ったか
 
 とされる三叉路)を、北に望む。  左ブロック塀の後ろに
 
 正面、白い家の道の右側辺りか】  40.安倉中2の道標】

写真dimg2129
【4.小浜道より南を望む
 中央常夜燈を右(西)
 に入ると、境内に道標
 左、電柱辺りが1候補地
 右の道は、小濱宿南口へ】

写真dimg0759
【5.宝塚東部の道標(明治44年)】

写真dimg0762 写真dimg2112
【6.宝塚南部の道標(明治44年)】 【7.宝塚南部の街道】
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