40.西宮市六湛寺町10の道標

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西宮市六湛寺町10−11 市役所の南、市民会館との間の通路の東寄りに北を正面に建つ
(南側に「六湛寺」の石碑と並んで建つ、移設されたらしい。)
自然石 80x北面56x西面30p、東面28p
N34.73731 E135.34198


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北面
┌─――――――――――――――――┐
│右甲山              │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――┐
│左越木岩村            │
└―――――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、3)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、番外。
 同書では、「大井出橋あたりから甲山と越木岩村への分かれ道あたりにあった」と伝聞を載せている。
 『西宮の街道と道標(1)』阪神間の街道を歩く会、曲江三郎では、元位置を、西宮市大井手町10
N34.745336 E135.329499
 辺りとしている。)
(『西宮の道標』刊行時点では、国道二号線を背に南面して建っている様に書かれており。又、その時点
 で、新庁舎建設が無ければ市民会館(当時は現市役所の道東)の前に逆さまに埋れたままであったかも
 しれない、ともかかれている。即ち、市役所付近でも、現在(2017年)地で3回目の移設になる。
  そこで、伝聞の大井出橋付近にこだわることなく、これを外し明治の地図より候補地を探すと、他に
 安井町1 (安井小学校南東角)の三叉路(現四辻)、又、その北250mの千歳町1(現在道無)の四辻
 或いは、その100m北辺りの三叉路(現在道無)、等を挙げてもよいかもしれない。)
(元位置とされる地点が正しければ、神呪寺への丁石で述べる、獅子ヶ口道の起点と考えてもよい。
 「68.神呪寺丁石一覧」は、こちらを参照下さい。)

写真dimg5016 写真dimg5018 写真dimg5019
【1.道標を南西に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南東に望む
 左、アミティホール  右、当道標  手前が当道標
 右、市役所】  左、「六湛寺」碑】  「右甲山」を北面とした】
写真dimg5023 写真dimg5024 写真cimg5191
【4.東面上部拡大 【5.東面下部拡大 【6.元位置?を北に望む
 「左越木…」  「岩村」  右(北)さくら道を甲陽園へ
 と見える】  と見える】  左、大井手橋を越木岩へ】

写真dimg3829 写真dimg3838
【7.西宮南部の道標】 【8.神呪寺丁石一覧】
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