4.川西市栄町27栄南団地内(小)道標

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川西市栄町27 栄南団地9号棟の東に大小2基が建つ
(もう一基、北側にbP0.背の高い道標が建つ)
山形角柱 44x24x19p(頂高3p)
N34.82669 E135.41107


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南側(小さい道標)
東面
┌─―――――――――――――――――┐
│右 満願寺             │
│     道            │
│左 いたみ             │
└――――――――――――――――――┘
(「た」は「多」の変体かな)

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│ 世話人              │
│   栄又             │
└――――――――――――――――――┘

他の面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『川西の歴史散歩』昭和60年刊では8)
(同書では、「もとは、この地点より北寄りで、南北に伊丹へ通じる道から西に折れて、満願寺へのぼる
 豆坂口の分かれ道に建てられていた」とあり、移設されている。
 豆坂口は、川西市花屋敷1丁目34のバス停にあり、その横には慈光会への丁石が建っている。
 上記の記述を豆坂口への、西分岐点と解釈し、元位置を上記と明治44年の地図で想像すると、
N34.82792 E135.41369
 辺り(現、中央町交差点)であろうか。
 或いはその西200m(花屋敷1丁目5)の三つ辻
N34.828127 E135.411415
 も候補になるか。)
  この近辺からの伊丹への道は三本ほど考えられ、西から河岸段丘上の加茂を通る道、多田街道とされる
 久代を通る道、東の猪名川堤沿いに北河原を通る道があるが、この内どれを指すかは定かでない。)
(『川西の道標を訪ね歩』荒木勉著平成20年では、元の位置を「豆坂口の分かれ道」とし、図示している。
 それによると、前述のバス停付近でY字路の北部に見える。もし此処だとするなら、解釈を変えなければ
 ならない。
  明治44年地図では、上記バス停地点には辻が無く、昭和48年地図で辻が見える。そこで古い辻は、北西
 130mの宝塚市花屋敷つつじガ丘13−11
N34.832710 E135.405786
 辺りとして、東面、或いは北東面させなければ、右が満願寺を指さなくなる。この時、左伊丹は南進し、
 現国道176号寺畑1丁目交差点へ出る道を指すことになるが、明治33の地図にその道の記載がなく、
 道標を必要とする辻であったかとの疑問が残る。)

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【1.道標二基を南西に望む 【2.道標を西に望む 【3.元位置候補の一つ 【4.豆坂口バス停を東に望む
 左の背の低い方が当道標  左の背の低い方が  花屋敷1-5を  新道標は宗教法人を指す】
 後ろは集会所の建物】  当道標】  北西に望む】

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【4.川西南部の道標】
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