44.西宮市高木西町6の道標

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西宮市高木西町6 高木八幡神社境内北東部に建つ、南側に説明板がある
山形角柱 81.5x20.5x15p(頂高3p)(台石14x30x30p)
N34.749390 E135.361197


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南面
┌─――――――――――――――――┐
│厄神明王道            │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――┐
│    津高庄右         │
│  願主             │
│    〃 礒次         │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│   右西宮今津         │
│すぐ 西之寺           │
└―――――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――――┐
│是より北門戸へ十         │
└―――――――――――――――――┘


(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、19)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、56)
(同書では、南北の道を挟んで、現在地の東側民家の軒先に西向きに、高さ52.5pで建つ、と書かれている。どの面
 が、西向きなのか明記されていないが、「厄神…」を「表」としていることから、現南面が西面していたと思われ
 るが、その場合、現北面が東面となり、右西宮今津が北を指し、方向が合わなくなる。よってその時点でも移設さ
 れていたものと思われる。
  津門や今津方面から門戸厄神への道は、南西方向から此の辻へ来て、左折(北折れ)し一本道となるので、現在
 の向きが正しいと思われる。但し、西面に「北」と明記してある点や、願主が東面に書かれている点を考えると、
 道の東側に有った方が相応しい。依って元位置はこの四辻の南東部としたい。)
(説明板に、北面「西之高」とあるが、「西之寺」であろう(下記写真参照)。
 現地より南東100mに大日寺、南西150mに法心寺があり何れも旧高木村集落内であり、南進後左右に別れる位置と
 なる。ただ、両寺とも、道標に書かれる寺ではないように思うが、二つの内、西側の寺の意なら法心寺を指すか。
  尚、旧集落を抜け真っすぐ南への道はなく、突当りで東西に分かれ、西は西宮、東は道なりに南東、瓦林方面へ
 続く。又、説明板に「「旧高木村の氏神八幡神社境内の東北角の四ツ辻」に立っていたと… 基部が滅失している
 ため、文字に欠落が見られる…」とあり、西面の「門戸へ十」の下は丁数を示すと思われるが、現門戸厄神までは
 1.8q(16.7丁)、門戸集落の東端辺りとしても1.4q(12.8丁)程度の距離があり、「七丁」或いは「三丁」が書
 かれていたと思われる。
  他に、西の寺の候補として、『山崎通分間延絵図』に「高木村薬師堂」なる記述がある。)
(「山崎通分間絵図」は東京国立博物館アーカイブ『山崎通分間延絵図全1巻』「本文28」で見ることが可能。)
(願主の「津高」は、「3.西宮市下大市東町19の道標」と同じでそちらには「高木村」が付く。お身内であろう
 か。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南に
 右(西)西宮へ  右奥(北)門戸へ  柵越しに望む
 手前(北)厄神へ】  左、西宮今津へ】  埋没部分が白く見える】

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【4.「寺と高」の 【5.南横の説明板 【6.『山崎通分間延絵』左下に
 くずし字一画目は  元位置は前述書の引用  高木村/薬師堂
 「ゝ」より「一」  読みは何から引用?】  右横、八幡宮はここか】
 「寺」であろう】

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【7.西宮南部の道標】

 2024/10/3 写真4.文字ずれ訂正
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