26.豊中市緑丘2の道標

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豊中市緑丘2丁目14−8 豊中不動尊の境内南西部の地蔵堂内に三体東向きに座る内の右端(北部)に建つ
地蔵光背部 38x22x約7p(像浮彫部+2p含まず)
N34.808730 E135.483601


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東面
┌─――――――――――――――┐
│左 おか道          │
│(地蔵像)          │
│右 さい志やう道       │
└―――――――――――――――┘
(「志」は「し」の変体仮名)

南面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

その他の面
┌─――――――――――――――┐
│(不明)           │
└―――――――――――――――┘


(元所在地は調査できていないが、明治の地図では現在地の南300m辺りで、現府立豊島高校から
 尾根筋を南に来て、島熊山ピークを過ぎて、南東と南西に分岐する「小径」が描かれている、三
 叉路あたりか、現在の緑丘2丁目18辺り、近辺では唯一の辻として描かれている。
N34.80642 E135.48424
 辺りと思われ、各集落への直線距離は、小路へ1.7q、熊野田へ1.8qとなる。上新田へは1.3q
 だが道が無い。
 遠方からの移設でなければ、ここが候補となろう。現在では中環のすぐ北側辺りか。)
(案内は、他に例を見ないほど特殊な表現である。それは、正面向かって、右側に「左」、左側に
 「右」となっておりあたかも地蔵自身が進む方向を向いているかのように彫られている点である。
 案内の、「おか道」は「岡、又は丘、道」と想像するが、「さいしやう道」は意味不明である。
 よく似たものに、「在所(ざいしょ)道」とするものがあり、これも、『ざいしょ』道と解釈し
 たいけれど、他の道標では、村中(集落の中)へ進むことを示しており、この近辺では、集落が
 見当たらない。
 (豊中市内では、「16.上新田1西口道標」の東面に「ざい所」とある。)
  前述の元の位置候補地点に、北向きに立っていたと仮定し、旅人本人も、北向きに立つと、左
 手(南西)「丘道」は、小路方面を示し、右(南東)は少し遠いが熊野田方面を示す事になる。
 北から来て、地蔵を正面に見て、文字通り、左、右を受け取れば、上記の方向は逆転する。
 何れにせよ、道標としては、非常につたない案内と思える。)

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【1.豊中不動尊の南門を 【2.地蔵を西に望む 【3.地蔵を西に望む 【4.上下をつなげた
 を北に望む、中央左  三体の内、右端の  延命地蔵尊として  前垂れを持ち上げて
 縦長白い堂内にある】  地蔵光背部に案内】  右端蝋燭立の後ろ】  下部を合成した】

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【5.地蔵を上から望む 【6.豊中北部の道標】
 背面は船底型を呈し
 像部は約2pの浮彫】
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