66.茨木市東奈良3の道標1

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
茨木市東奈良3−12−18 茨木市立文化財資料館、北側
自然石(三角柱状) 55x29x31p
N34.802786 E135.56818


写真cimg2610

写真cimg2611

写真cimg2612

北面
┌――――――――――――┐
│左 忍双寺       │
└――――――――――――┘
(「双」は「頂」で忍頂寺か)

東面
┌――――――――――――┐
│なし          │
└――――――――――――┘

南西面
┌――――――――――――┐
│なし          │
└――――――――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では86)
(同書に「「双」は「頂」の異字体で、」とあるが、くずし字とすべきかも知れない。
 又、元位置は、「亀岡街道の泉原バス停から500m余り北へ歩き、そこより西への道を下って100m余り行ったとこ
 ろ…」とあるので、現在(2018年)の道の様子で見ると、
N34.88587 E135.52721
 辺りとおもわれるが、明治44年の地図では、ここに辻らしきものは描かれていないが、明治22年の地図には、小径が
 北に続 く三ツ辻として載り、右(東)聯路を進むと遠回りする事になり、道標が必要であったと思われる。
  亀岡街道(府道43号)は川の東側を通り、ここは西側の同じ高さ辺りで、東西をつなぐあぜ道がある四辻であり、
 地形的にみると、泉原の西谷方面から忍頂寺を目指すと、亀岡街道に一度出るより、この西側の道を進む方が自然に
 も見え、通行する人が多かったのかも知れない。
  北面の「左忍頂寺」として、どの向きに立っていたであろうか。府道43号に沿う道と、現キリシタン資料館を通る、
 二系統が考えられ、距離的には変らないようだが、歩き易さは府道43号沿いであろう。
 そうすると、この四辻からは、北を目指すことになり、辻の北東部に、西向き或いは、南向きに建てられていたと思
 う。
  この北への道を採ると、龍王山西の参道口に到達する。
 道標の元位置は、箕面勝尾寺山門前の「粟生間谷(下乗石)の道標」の北面にある、「龍王山 二リ」から続く道
 (ほぼ府道43)の途中に当たり、為に、参詣者の通行が多かったのかも知れない。)

写真cimg7046 写真cimg7049 写真cimg7061
【1.道標を南西に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を北東に望む
 背後は資料館北壁  右上後は大阪貨物  右端の白い壁の
 画面中央に当道標】  ターミナル線か】  左下に当道標】

写真cimg7047 写真cimg7048 写真cimg7050
【4.道標北面拡大 【5.道標西面拡大 【6.道標を上部から見る
 「左 忍双寺」は  何も書かれていません】  下が北面になる】
 忍頂寺であろう】

写真eimg4663
【7.茨木北部の道標】
写真eimg4675
【8.茨木南部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ