29.茨木市東福井2の道標3

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
茨木市東福井2丁目3 南北の清坂街道から西に分岐する三叉路の東部に西を正面に建つ
(にいやはしの南5m)
尖頭形角柱 78x西面28x17p(頂高5p)
N34.845365 E135.553854


写真cimg2642

写真cimg2643

写真eimg4941

写真eimg4942

西面
┌────―───――――――――――――――┐
│  妙見                  │
│右                     │
│  たんば                 │
└――─――――――――――───――――――┘
(「ば」は変体仮名「者」に゛、「丹波」か)

南面
┌────―───――――――――――――――┐
│左 郡山大坂                │
└――─――――――――――───――――――┘

北面
┌────―───――――――――――――――┐
│文政十亥年秋                │
└――─――――――――――───――――――┘

東面
┌────―――――───――――――――――┐
│(なし)                  │
└――─――――――――――───――――――┘


(文政十年一月一日なら丁亥年、西暦1827年1月27日土曜日となる)
(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では19)
(同書に「まだ下部に文字があるようであるが、埋まっていてわからない。」としているが、現北面の事であろうか。)
(明治の地図で見ると、三叉路とはなっているが、小学校までの道で、通行に用いる道では無さそうであり、道標の必
 要性も無かったであろう。元の位置候補としては二ヶ所が考えられ、
 一つは、橋を渡って道標から北40m、東、市立北中学校から来る道との三叉路、茨木市東福井2丁目9
N34.845736 E135.554006
 辺りで、
 二つ目は、南30m、市立福井幼稚園の北東角に、これも東から来る道の三叉路、茨木市東福井2丁目1
N34.845100 E135.553854
 辺りとなる。ここには現在「28.茨木市東福井2の道標4」が立っている。
 南、西国街道からや、東の鎌足公古廟からの経路を考えると、一つ目の方が通行量は多かったと思われる。
 この何れかに、現西面を180度回転し、東面して立っていたものと思われる。こうすると、「右妙見…」が北を指し、
 北面になっていたであろう「左郡山大坂」が南を想起させる様に、三ツ辻の南東部に置かれていたと想像する。)

写真eimg4934 写真eimg4935 写真eimg4936
【1.道標を南に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を北西に望む
 奥(南)郡山へ  奥(北)妙見へ  左手前、右奥亀岡街道
 次の辻28道標】  欄干は「新屋橋」】  左奥への道は学校へ】

写真eimg4945 写真eimg4949 写真eimg4955
【4.道標を北に望む 【5.道標北面拡大 【6.同左下部
 案内不整合の為  「文政十亥」  スポット部分
 移設であろう】  と読める】  「秋」とした】

写真eimg4675
【7.茨木南部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ