28.茨木市東福井2の道標4

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茨木市東福井2丁目3−18 南北の亀岡街道に東西の道が交わる四つ辻の北東部に南西を正面に建つ
(佐保川に架かる「にいやはし」の南30m)
尖頭形角柱 42x南面20x14p(頂高3p)
N34.845158 E135.553861


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南西面
┌――――――――――――┐
│右 く尓ミ妙      │
└――――――――――――┘
(「尓」は変体仮名「に」、国見、妙見か)

南東面
┌――――――――――――┐
│左 大坂        │
└――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――┐
│左 さお        │
└――――――――――――┘
(「さお」は「佐保」か)

北東面
┌――――――――――――┐
│享和三亥        │
└――――――――――――┘


(享和三(癸亥)年1月1日なら、西暦1803年1月23日、日曜日となる。)
(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では95)
(同書に「過去の調査でも確認できていない道標であることから、元々この場所にあったのではなく、近くにあったも
 のを移したと考えられる。」とあり、元の場所候補を明治の地図から探すと、二ヶ所見つかる。
 一つは、茨木市東福井2丁目16−2
N34.846637 E135.553157
 の辺り、ここは現、「30.茨木市東福井2の道標2」が立っている辻である。
 二つ目は
N34.851385 E135.550261
 府道110号、東福井三丁目交差点の北100mの三叉路辺り、ここは現、「31.茨木市東福井3の道標」が立ってい
 るが、これは、現道標から0.8qと少し離れすぎていると思われる。
  依って、一つ目を元の位置としたい。
 南北に走る亀岡街道から北東(清坂街道の東で併行する道)に分岐する三叉路の北部に、反時計回りに45度回転し設
 置すると、国見は北東へ、佐保は北、大坂は南へ進むことを示し整合する。
 即ち、元は現道標から北へ200m程度離れた(東福井2丁目16)三ツ辻の北部に、左45度回転し建っていたと考え
 る。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北に望む
 飛び出し坊やの  奥、佐保川西岸へ  左手前、右奥亀岡街道
 右に当道標】  左(北)佐保へ】  坂を上がると新屋橋】

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【4.道標南西面拡大 【5.道標北東面拡大 【6.同左下部
 「右く尓ミ妙」  「享和三…」  「三亥」
 と読める】  と読める】  と読める】

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【7.茨木南部の道標】
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