59.茨木市安威1の鎌足廟案内

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茨木市安威1丁目7 南北の道から南東へ分岐する三叉路の南東部に北を正面に建つ
平形角柱 98x18x18㎝
N34.848515 E135.565284


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北面
┌――――――――――――┐
│右 鎌足公古廟     │
└――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――┐
│ 吹田町        │
│  伊東清次郎建之   │
└――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――┐
│なし          │
└――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――┐
│なし          │
└――――――――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では№60)
(同書に「…吹田村が町制をひいたのは明治41年(1908年)4月1日である。…建てられたのはそれ以後である。」と
 する。
 尚、Wikiに「1940年(昭和15年)4月1日、三島郡千里村、岸部村、豊能郡豊津村と合併して吹田市になる」とあるの
 で、この30年ほどの間の建立となるか。)
(又、「鎌足公古廟」は安威山の頂上にある古墳を指したものであるが、史実とは関係が無い事を指摘している。しか
 しここでは道案内であるので、場所を決定する必要がある。明治の地図で、そのものずばり「鎌足公古廟」が描かれ
 ており、現在の大織冠神社に一致する。依ってこの場所で、今の向きで問題はなく、現安威小学校の南の道を西に誘
 う道標である。
  因みに、左へ坂を下ると十日市への道であるが、こちらから来る人には見難く、北から見易くなっているのは、人
 の流れが多く、南へ向かっていた為であろう。)
(同書には、同一施主になる四基の道標が載るが、今(2018年)は二基となり、もう一基はこちら。

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【1.道標を南に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を北に望む
 左、十日市へ  右(北)安威神社へ  奥(北)安威神社へ
 梅の花を右、古廟へ】  左、古廟へ】  右、十日市へ】

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【4.道標を南西に望む 【5.道標西面下部拡大
 Y字状の三ツ辻で  「吹田町…」
 左からは見え難い】  と読める】

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【6.茨木南部の道標】
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