61.茨木市西安威1の鎌足廟案内

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
茨木市西安威1丁目15 六辻の北西部に南を正面に建つ(茨木市立北中学校北西角)
角柱 115x17.5x18p(『わがまち茨木』より)
N34.843750 E135.557981


写真cimg2727

写真eimg6160

写真eimg6159

写真eimg6157

南面
┌――――――――――――┐
│右 鎌足公古廟道    │
└――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――┐
│吹田町         │
│  伊東清次(郎建之) │
└――――――――――――┘
(( )部は『わがまち茨木道標編』より)

西面
┌――――――――――――┐
│(なし)        │
└――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――┐
│(なし)        │
└――――――――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では62)
(同書では、鎌足公古廟の道標を4基採り上げているが、現在2018年では二基のみとなってしまった(もう一基はこちら)。
 史実は別にして、現在の大織冠神社をそれと呼んでいたのなら、現住宅街へ登る道を「右」として問題は無さそうで
 ある。
 が、如何せん草木に覆われ、よく見えないのが難点である。東横には新しい「将軍塚古墳350m」なる案内が立って
 いる。
  又、施主の住所より、建立年代を明治41(1908)年4月1日以降としている。吹田市は昭和15(1940)年4月1日施行
 とあるので、この間といえるか。)
(現在でも複雑な辻でああるが、明治の地図でも複雑ながら、北西から南東への道が、穴太寺から総持寺への巡礼道と
 なり、これが主要な道であったと思われる。)

写真eimg6151 写真eimg6153 写真eimg6163
【1.道標を東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を北西に望む
 奥左上、大織冠神社へ  正面左の一方通行  奥(北西)真龍寺の西へ
 左(北)真龍寺前道標へ】  標識の右に当道標】  この道を巡礼道とする】

写真eimg6156 写真eimg6161 写真eimg6164
【4.道標を北東に望む 【5.道標東面拡大 【6.現在の案内標
 隠れてよく見えない  「伊藤」の右に  「将軍塚古墳」とある
 現在の案内はこの東】  小さく「吹田町」】  左面「鼻摺古墳」は南へ】

写真eimg4675
【7.茨木南部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ