58.茨木市十日市町9の道標

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茨木市十日市町9−31 南北の枝切街道に東西の道が交わる四つ辻の北西部に西を正面に建つ
蒲鉾形角柱 61x155x13p(頂高2.5p)(東面高57p)
N34.842759 E135.567623


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西面
┌――――――――――――┐
│右大坂         │
└――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――┐
│ あなを        │
│左   道       │
│ 妙見         │
└――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――┐
│なし          │
└――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――┐
│なし          │
└――――――――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では64)
(同書では、東面、「あなを」は「穴太寺」(西国三十三ヶ所の内、二十一番札所)としている。
 現、京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46となるか。
 又、「安威村の道路工事で現在の場所に移されたと聞いている。」とあり、元位置を考えてみよう。
 東面、西面と相対する面に、左、右と書かれており、通常ならば同じ方向を示す事になる、今のまま
 なら、大坂も南、妙見も南となり苦慮する。そこで、現北面(壁に隠れている面)が西面していたと
 して(反時計回りに90度回転)、現東面が北、現西面が南にあれば、納得がいきそうである。
 依って、この道標は、南北の道に西からの道が突当る、三叉路の東部に建てられていたする。
  明治の地図でこの枝切街道(茨木街道支線)に西から合流する辻は、三ヶ所ある様に見える。
 1.茨木市東安威1丁目19−2
N34.84765 E135.5673
 2.大阪府茨木市十日市町22−1
N34.84568 E135.5673
 3.茨木市十日市町8
N34.841731 E135.567947
 この内、1.は西へ折れる道が主(枝切り街道)で、北への道は、小径となっているの為除外できそう。
 残る二つの内、3.は現在、太田橋から移設されたという「57」の道標が立つので此処ならば移動さ
 れなかったと思う。
 よって、2.が残り、ここは、現在の地点から最も近い辻でもあった。依って、ここの三ツ辻の東部に、
 現西面が南面(反時計回りに90度回転)して、建っていたとしたい。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南東に望む
 奥(北)安威へ  右、安威へ  左(北)安威へ
 手前、十日市へ】  奥、現府道46号】  右、十日市へ】

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【4.道標を北に望む 【5.道標西面拡大 【6.道標東面拡大
 現西面の「右大坂」  「右大坂…」  「左あなを…」
 が南面していたか】  と読める】  が北面していたか】

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【7.茨木南部の道標】
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