57.茨木市十日市町8の道標

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茨木市十日市町8 南北の枝切り街道に東、善永寺からの道が交わる四つ辻の北東部に南を正面に建つ
(辻を挟んで南西部には妙見宮とある常夜灯がある。2018年には無し。)
頭丸形角柱(舟底型かも) 69x南面21x17p(頂高5p)(基部12x南面25x23p)
N34.841731 E135.567947


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南面
┌────―――――───――――――――――┐
│左                     │
│ さうちしみちすく             │
└――─――――――――――───――――――┘

東面
┌────―――――───――――――――――┐
│(なし)                  │
└――─――――――――――───――――――┘

西面
┌────―――――───――――――――――┐
│(なし)                  │
└――─――――――――――───――――――┘

北面
┌────―――――───――――――――――┐
│(なし)                  │
└――─――――――――――───――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では12)
(同書に、「元は旧太田橋の西詰にあった。名神高速道路工事の時、現在地に移動した。」とあり、添付の地図
 では、現在の旧西国街道に架る、太田橋の西詰辺りに元位置がしるされているが、この橋は名神作成時に出来
 た橋で、実の旧西国街道ではなく、昭和25(1950)年以前なら、現在の高速の橋の下が元の橋の位置になり、
 現「旧太田橋」西詰は元位置ではあり得ない。又、同書の解釈「安威川を渡るとすぐ行ける。」としているが、
 ここで橋を渡ると遠回りとなり、「すぐ行けない。」のです。
 同書の「橋西詰」に従って明治の地図で候補地を探すと、西岸土手上を除くと、橋の西側150m以内には辻が無
 く、一本道で、道標は不要と思われる。(180mに「茨木市十日市町1の道標」の辻がある。)
  ここで、案内を見て置こう、「左」が窮屈に右上隅書かれている、当初からのものか。
 又、中央に「そうちしみち すく」とあり、一般的に道標の「すく」は「真っすぐ」の意とされ、「左」との
 関係はどうなるのか。この道標だけ「すぐ近く」と解釈するのか。これらの解釈により、元位置候補は変わる
 ため、今は結論が出ず、今後の調査としたい。
 ただ、可能性の高いのは、「左」は追刻とし、安威川西岸の土手上を直進(橋を渡らない)し、西河原で川を
 越え、東、総持寺へ、を指示するものとして、橋の西詰の堤防上に北面して、直進(南下)を案内する道標で
 あろう。
  次に、追刻の理由を、丸っきり想像であるが書いてみる。
 元々総持寺への道は川の西岸土手を南下していたが、堤防修復により、東岸土手上にも道が出来、西国街道の
 橋を東(左)に渡り、すぐ南に堤防上を歩く事が出来るようになり、それが主になった。としたら、それ以前
 から立っていた道標に、東に橋を渡らせるために「左」と書き加え、渡って「右」とは書かなかった。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を西に望む
 奥(北)安威へ  奥、善永寺で行止り  2015年には電柱左に
 左、現府道46へ】  右(南)旧西国街道へ】  常夜灯があった】

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【4.道標南面上部 【5.道標南面中部 【6.道標南面下部
 取って付けたような  「さうちしみちす」  「すく」の左に
 「左」は追刻か】  「し」は「ち」を囲む】  「ネ」の様なもの有】

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【7.茨木南部の道標】
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