19.茨木市五日市1の道標

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茨木市五日市1−10−11 の南側、茨木川北堤防の道から更に北側に分岐する道との間、堤防の斜面に東を正面に建つ
(堤防上の道が道祖本街道と思われる)
尖頭形角柱 東面64x18x18p(頂高4p)(北面高74p)(南面高58p、下部幅19p)斜面の為北と南で高さが大きく異なる。
N34.832228 E135.56591


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東面
┌――――――――――――┐
│右みようけん山     │
│左かちをう寺      │
└――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――┐
│(なし)        │
└――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――┐
│左かつをし 五日市村  │
└――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――┐
│(なし)        │
└――――――――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では92)
(同書に、「堤の下からいったん北に向かって細い道が続いている。…この細い道を見逃さないように建てら
 れた道標ではないだろうか。」とあり、明治の地図では、道祖本街道(巡礼道)が堤防上を西に進み、北西に
 分岐する道が描かれ、耳原で西国街道に突き当り、その後安威から妙見山を目指す道を示したものと思う。)
(東面の彫りに比べ、西面の風化が著しく、西面の「左かつをし…」も方向が一致せず、南面の下部の幅が、
 1p程広いこと等を考えると、東面に追刻し、向きを180度回転し、再利用したものではないかとしたい。)
(『わがまち茨木」(街道編)教育委員会、平成4年刊では、福井街道、起点三島村大字田中より
 安威村を経て亀岡街道の福井に至る。とされる道の南部、道祖本街道との分岐点がここである。
 街道の北端近くには、62東福井2の道標が建つ。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を西に望む
 奥(南)171号  左堤防上、勝尾寺へ  東面の文字は細いが
 右下は茨木川】  右下、妙見山へ】  はっきり読み取れる】

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【4.道標を東に望む 【5.道標の西面 【6.西面下部
 西面全体は東より  「左かつをし五」  「五日市村」とした
 風化が進んでいる】  と読んだが?】  すぐ西の集落名】

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【7.茨木南部の道標】
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