62.茨木市東福井2の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
茨木市東福井2丁目19 真龍寺霊園入口の川を挟んで西側に西を正面に建つ
(微視的に見ればT字路の北部となる)
自然石 75x西面33x26p、台石20x西面57x59p含まず
N34.847652 E135.554491


写真cimg2635

写真eimg4987

写真cimg2634

写真eimg4990

西面
┌――――――――――――┐
│ ミやうけん      │
│左           │
│ たんば道       │
└――――――――――――┘
(「ば」は変体仮名「者」に濁点
 妙見、丹波であろう)

南面
┌――――――――――――┐
│(なし)        │
└――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――┐
│ そうじじ       │
│右           │
│ いばらき       │
└――――――――――――┘
(「じ、ば」は変体仮名「志、者」に濁点
 総持寺、茨木であろう)

北面
┌――――――――――――┐
│ 若山氏        │
└――――――――――――┘


 (2024年6月訂正)
 設置位置と向きが変わっていました。方向の記述訂正と、現状の写真を追加します。
 設置位置は東へ2m、方向は180度回されていました。経緯度は訂正せず。向きが変わった事に
 より、解説を変え、且つ元位置の説明も簡潔にした。参考の為、旧内容は残しておきます。

(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では22)
(同書に「案内の文字からみて、元の場所はここではなく、少し西の旧亀岡街道にあったものか
 と思われる」としつつ、「…現在野道になっている道筋である。しかし、真龍寺へ参拝する人
 も多いので、ここに古くからあったとも考えられるのである。」とも書いている。
  現在の位置と向きでは、西面、東面とも進行方向は北を指し、水路西沿いの畦道を示しこれ
 は不都合である。最も合理的に納得できる位置は、辻の対角線上、即ち南西部の田(畑)の角
 に、現東面を北西面させ、現西面が南東面する様に置くことである。
  こうすると、旧の清坂道から東へ進んで来た人には「右、総持寺、茨木」が南へ右折し道な
 りに北中学校の角に出て良く、逆にそちらから北西行してきた人には「左、妙見、丹波」が西
 に折れる事を案内して問題なしとなる。
  南へ250m進んだ先に「東福井2−13の道標」があり、これが「右、丹州、国見、妙見」と
 案内する道になり近世では人通りが多かったと思われる。)
(旧道の状況は『今昔マップ on the web』明治の地図が参考になります。)
(東に東福井2の道標2がある。)

写真jimg8833 写真jimg8836 写真jimg8839
【1.道標を北東に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南に望む
 ガードレールの道  奥、突当り右が  奥、茨木、総持寺へ
 は真龍寺へ】  妙見、丹波方面】  右、妙見、丹波方面】

写真jimg8835 写真jimg8838 写真jimg8840
【4.道標西面 【5.道標東面 【6.道標を南西に望む
 「左、妙見、丹波」  「右、総持寺、茨木」  左の道標を右向うに置き
 は西を示すと思う】  南を示して欲しい】  135度反時計向きに回す】

【旧記述】
(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では22)
(同書に「案内の文字からみて、元の場所はここではなく、少し西の旧亀岡街道にあったものか
 と思われる」としつつ、「…現在野道になっている道筋である。しかし、真龍寺へ参拝する人
 も多いので、ここに古くからあったとも考えられるのである。」とも書いている。
  すぐ西にお住まいの方によると、「物心の付いた時分からここに有った。」とおっしゃられ
 ておられ、昭和二十年(1945年)頃のお生まれかと察すると、昭和三十年(1950年、十歳)頃
 から以降は動かされていない様である、
 又、石の向きについては、覚えておられないとの事でした。
  明治の地図でこの場所を見ると、単なる野道でなく、南の耳原や、東の安威方面から来る人
 にとっては、清坂街道、国見への近道であり、亀山街道へも少し遠回りになるが繋がる道筋で
 往来する人は、真龍寺への参詣者を除いても、多かったと思われる。)
  道標を、現在の辻の南西部に置く等、現東面が、北行する人の左(西側)に見える様にすれ
 ば、案内は整合し、元々この地にあっても問題は無いどころか、真龍寺への道に入り込まない
 様に是非とも此処に道標が無ければならない。
  依って近接移設は有るかもしれないが元位置としたい。
 尚、今も利用者が多いのか、2018年2月時点で、南東、山裾の道は拡張工事が行われていた。)
(『わがまち茨木」(街道編)教育委員会、平成4年刊では、福井街道、起点三島村大字田中より
 安威村を経て亀岡街道の福井に至る。とされる道の北端から、東に進み、最初の辻である。
 街道の南部、道祖本街道との分岐点には、19五日市1の道標が建つ。)

写真eimg4982 写真eimg4984 写真eimg5018
【1.道標を北東に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南西に望む
 ガードレールの道  奥、突当り右が  左、茨木、総持寺へ
 は真龍寺へ】  妙見、丹波方面】  右、妙見、丹波方面】

写真eimg4988 写真eimg6143 写真cimg2636
【4.道標西面拡大 【5.道標東面拡大 【6.2015年の道標の南
 「右…」苔に蔽われ  「左…」こちらも  辻の南西角、右向う
 て読み難い】  苔で読み難い】  辺りが元位置か】
写真eimg5016 写真eimg6145 写真eimg4675
【7.道標を西に望む 【8.道標南面下部 【9.茨木南部の道標】
 西突当り左右が  「若山氏」とした
 清坂街道東併行道】  施主であろうか】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ