97.茨木市東福井2−13の道標

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茨木市東福井2−13−4 佐保川のやまにし橋東詰めより北310mの三ツ辻北部、駐車場門扉西側に南を正面に建つ。
自然石 45x45x42p
N34.817558 E135.553475


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南面
┌────――――――――――――――┐
│       丹州         │
│     右 く尓ミ 道      │
│       妙見         │
│(梵字)              │
│     左 さを         │
└――─―――――――――――――――┘
(梵字キリークは阿弥陀如来の種子か)

東面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

西面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊には未記載)
(読者の方から教えて頂きました。有難うございます。)
『今昔マップ on the web』明治の地図で見ると、旧西国街道の北側に宿久庄から安威に向かう山沿いの道が見えま
 す。この道が佐保川を東に越し、山西(字名か)でX字状の辻(現五つ辻)を作っています。この辻を北西に310m
 進むと、川の北でY字路になり、ここに建っていたものと思われます。現在はY字路を北(東寄り)に20m進んだ、
 駐車場入口門扉西側に、切株に隠れて建っています。道端でなく上部にかけ上がった位置にあり頭の高さとなり、か
 えって分かり難い。)
(行先は、「丹州」は丹波の国、「く尓ミ」は国見(現茨木市大岩)、「妙見」は能勢の妙見山として異論はないと思
 います。では「左 さを」は「左 佐保」とするが如何でしょう。「さほ」が訛ったものか、当地ではこの様に発音
 するものかは知りません。現在の位置では少し案内がまずいが、南へ20m移動させY字分岐点の中央に置けば、左が
 佐保川沿いに進み、案内に不可は無くなる。)
(右の道(山入端沿い)を250m進むと「東福井2の真龍寺入り口の道標」に続きます。これも丹波、妙見を案内して
 おり、この道が主要な道であった事を裏付けるものと思う。明治以前の清坂道であったのかもしれない。)
(石の形を横から見ると、まるで座椅子の様に見え、正面から見ると上半分が読みやすくなっている。この様な置き易
 く且つ見易い形状のものは初めての様に思う。背面だけの厚さは上部で12p程度である。)

写真kimg1980 写真kimg1997 写真kimg1984
【1.道標を北西に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を北西に望む
 左、福井集落中へ  石垣の上に当道標  右門扉は駐車場
 右、真龍寺道標へ】  すぐ南は切株】  取付道の西端に設置】

写真kimg1991 写真kimg2012 写真kimg1984
【4.道標を南に望む 【5.道標を北西に望む 【6.道標を北西に望む
 先の三ツ辻が元位置  右「丹州、く尓ミ、妙見」  右門扉は駐車場入口
 と思われる】  左は「さを」を案内】  取付道の西端に設置】

写真kimg2027 写真kimg2021 写真kimg2018
【7.道標南面下部左 【8.道標南面上部拡大 【9.道標南面下部右
 「左 さを」  やや左側の梵字  「丹州/く尓ミ道
 と読んだ】  キリークとした】  妙見」と読める】

写真eimg4663
【10.茨木北部の道標】

写真eimg4675
【11.茨木南部の道標】

 2024/12/25 シーケンスbV9をbX7に訂正
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