21.西宮市仁川百合野町3の丁石

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西宮市仁川百合野町3-8 関西学院大学北西部、
西甲山方面から上ヶ原浄水場を巻くように下って来た道が南に方向を変えて50m程、
東、関学校内方面への細道が分岐する辻を10m下り、道の北側に南を正面に建つ
(橋と道を挟んで東側には剣札型道標がある)
尖頭角柱 86x南面24.5x22㎝(頂高6㎝)
N34.770273 E135.345117


写真cimg2734

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南面
┌─―――――――――――――――┐
│(梵字ドマ)十三丁       │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│(友)山六十          │
└――――――――――――――――┘
((友)は説明板より)

北面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、丁石「十三丁」)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、№35。
 同書では、東面「施主 武州 友山六十」となっているが、前半は読み取れない。
 又「説明板」には、この町石のみ寄進者名が刻字とある)
(南面(梵字トマ)は『西宮の道標』より引用であるが、種子不明とする。Wikiの「光明真言」に「「ハンドマ」で
 阿弥陀如来を指すと解釈。」とある。)
(神呪寺の本尊が如意輪観音とあり、梵字との関係は分らないが、現神呪寺を指すものとし、明治の地図で十三丁進
 むと、寺の南東にある「二丁」丁石のある地点(甲山大師下バス停の東)となり、二丁不足している。
 よって元位置は二丁西で、上ヶ原浄水場建設の折などに、東寄りの今の場所に移設された可能性があると考える。)
(他の丁石、「68.神呪寺丁石一覧」も参照下さい。)

写真dimg4570 写真dimg4592 写真dimg4587 写真dimg4595
【1.丁石を南に望む 【2.丁石を東に望む 【3.丁石を北に望む 【4.西横案内板】
 右水路西が当丁石  左石垣前が当丁石  奥(北)東折れ後仁川へ
 左、関学敷地内へ】  奥、関学敷地内へ】  左、甲山へ】

写真dimg3829 写真dimg3838
【5.西宮南部の道標】 【6.神呪寺丁石一覧】


甲山大師へ十三丁の町石案内板
丁石の西側に建つ


 甲山大師へ十三丁の町石

文字通り十三番目の町石である。寄進者は武蔵国の
友山となっている。このように願主の刻銘のある
ものはこの町石だけである。しかし、他の一連の町石も
石質や書体などからあるいはこの友山氏の寄進とも
考えられる。碑面上部に戴く梵字「トマ」は
いかなる仏の種子か明確でない。この町石群の
建立は、神呪寺が仏性原から甲山山麓の
現在地へ移ったのが宝暦五年(一七五五)なので、
勿論それ以後のことである。
             甲東文化財保存会



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