9.箕面市新稲5の道標

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箕面市新稲5-7 東西の道に南から突き当たるT字路の南西部に北東を正面に建つ
(T字路北側はお堂と消防団倉庫と公園になっている。)
自然石 79X北東面50X東西45p
N34.830167 E135.456317


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北東面
┌―――――――――――――――┐
│     元禄四年      │
│         中山へ二里 │
│(梵字)右中山道       │
│         池田へ廿五丁│
│     九月吉日      │
└―――――――――――――――┘

北面
┌―――――――――――――――┐
│攝州豊嶋郡新稲(村)     │
└―――――――――――――――┘
(「州」は「刀」を三つ重ねた字)
(「村」は『箕面のみちしるべ』より)

南面
┌―――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(元禄四年九月1日なら1691年9月21日日曜日となる。)
(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では、55)
(池田への距離は、『箕面の道しるべ』では十五丁、
 『近世以前の土木・産業遺産』では、廿七丁となっているが、「七」は誤りであろう。
 『箕面の道しるべ』には拓本も載り、それでは「廿」と読める(「一」に「ル」と画く)が、左側の縦棒
 が細くて、「十」と読み下してしまったものと思われる。)
(移設が無かったものとして、明治の地図の旧道で、距離を想定するとここから、
 十五丁(1635m)では、池田市立渋谷中北東、
 廿七丁(2943m)では、府道9号線池田城山町交差点、
 廿五丁(2725m)では、城跡公園(五月山体育館)辺りとなり、城跡までとするなら、二十五丁が正解で
 あろう。
 尚、中山寺へは8.5qと2里(7.9q)より少し遠いが、里を四捨五入して表現すれば、正しい。)
(東西の道は、「巡礼道」とされるようで、勝尾寺から中山寺へ向かうには、この辻を直進するのだが、此
 処に道標を設けたのは、地元の人たちが生活の為に南へ折れ、阿比太神社方面へ向かうことが多かったた
 めかもしれない。
 尚、明治の地図では、「ニイネ」と書いているが、現地では、「ニイナ」と呼ぶらしい。)
(北面の下部、「村」は『箕面のみちしるべ』の拓本にも明確に見え、同時掲載の写真では、道路の側溝に
 下部が写っており、この側溝が整備された折30p程後退させられ、更に埋められてしまったように思え、
 残念である。)

写真eimg3001 写真eimg3003 写真eimg3004
【1.道標を北に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南に望む
 「止まれ」標識の  奥(西)池田へ  左右(東西)が巡礼道
 左に当道標】  左、桜、牧落駅へ】  奥、阿比太神社方面へ】

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【4.道標の上部を望む 【5.北東面下部拡大 【6.同左別カメラで撮る
 上辺の塀が東を向く  右側「…田へ廿五丁」  左側「…五丁」はよく見え
 北東面は20°程後退】  と読める】  直上は一見「サ」に見える】

写真dimg2458
【7.箕面市の道標】

2022/10/3 追記
 「中山寺へ二里」を実測してみた。サイクルコンピュータ(車輪の回転数から距離を計算)を使用し、この道標の東
 「箕面市坊島5の道標」の「中山 三リ」から継続して測りました。
 勝尾寺から中山寺を目指す場合に、どの下山路(参道)を利用しても、当地を通過するのは間違いなく、ここを通過
 後、池田城跡北側から市内を抜ける間は少し分かり難い道であるが、呉服橋を渡り、現川西池田駅を過ぎると明治の
 地図に「巡禮(礼)街道」と記されている。同市寺畑に入って旧道が無い部分はR176号(数十m短いか)を走り、
 中山寺門前迄が9.08q(2.3里)となりました。道標の表現として「二里」で問題はないでしょう。
 (尚、走行距離の為、実距離よりは長くなる。)
  前述の道標からは3.11q(0.8里)の距離で1里よりは短かかった。
 今昔マップon the webで当地の旧道を確認できます。

写真iimg7197
【8.北東面右下部拡大
 「中山へ二里」は
 7.8q強となる】
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