34.箕面市坊島5の道標

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箕面市坊島5−11−4 如意谷2-10-45菅野北小コミュニティーセンターの南東
府道9号線如意谷交叉点を南へ40m、西へ分岐する三叉路の南西部に北を正面建つ
如意谷2の道標より、道なりに170m北東)
蒲鉾型角柱 63X北面21X14p(頂高4p)(像部28X15X1.5p)
N34.838054 E135.4859


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北面
┌―――――――――――――――┐
│(観音立像)右中山寺     │
│        三り     │
└―――――――――――――――┘
(観音立像は『箕面のみちしるべ』より)

西面
┌―――――――――――――――┐
│  左勝尾寺         │
└―――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――┐
│          丹後國  │
│文化三寅五月立之       │
│           兵助  │
└―――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(文化三年五月1日なら1806年6月17日火曜日となる。)
(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では、52)
(同書に、「北面の「右中山寺」の下の「三り」は他の字と異なって彫りが浅く線も弱々しく、後に彫り加え
 られたものと思われる。」とある。
 又、これとは別に、「西面の「左勝尾寺」の勝尾寺が現名称の漢字で刻まれている。」ともあり、この道標
 では全て漢字が使われているのに、「三里」としていない点も指摘しているのか。
 兎に角、追刻であるとすると、どのような理由が有ったのであろうか、一番考えられるのは、移設の結果距
 離が変わった場合であろうが、雰囲気的に、移設はされていないように思える。)
(『箕面のみちしるべ』では、西からの道がここで左折(北折れ)後すぐに東折れし、その後山裾を北東に廻
 り込み、勝尾寺に続く道を「巡礼道」としている。一度、東の外院へ出るよりも、こちらの方が近道である。
 私説「巡礼道」は、「箕面市粟生間谷の道標(山門南の下乗石道標)」等を参照下さい。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北に望む
 右端白いガレージ柱左  奥(南)白島へ  左(西)巡礼道か
 辻角に当道標】  右、如意谷へ】  奥、萱野北小学校へ】

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【4.道標を南西に望む 【5.北面下部拡大 【6.東面下部拡大
 道路は一段高くなり  右「…中山寺」  「丹後國」は遠く
 路肩に設置される】  左浅く「三り」とある】  当地との関わりは不明】

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【7.箕面市の道標】

2022/10/3 追記
 「中山寺 三リ」を実測してみた。サイクルコンピュータ(車輪の回転数から距離を計算)を使用し、箕面駅前の
 迂回を考慮し、五月丘辺りの旧道が一部無い区間は現府道9号(箕面池田線)を通り、池田城跡北側の旧道を通る
 とし、川西市寺畑に入って旧道が無い部分はR176号(数十m短いか)を走り、中山寺門前迄が12.19q(3.1里)と
 なり問題はないでしょう。(走行距離の為、実距離よりは長くなる。)
  この道標の西の「箕面市新稲5の道標」には「中山へ二里」とある。そこへは3.11q(0.8里)の距離で有った、
 即ち、中山寺までは9.08q(2.3里)地点となり、道標の表現としてはこれも問題はないでしょう。

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【8.北面左下部拡大
 「三り」とある】
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