11.箕面市箕面6牧之荘の標石

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箕面市箕面6−3−1 みのおサンプラザ西口の南側に二基北を正面に建つ
二基の内右(西側)の大きい石が標石(分水石とされている)、「小さい石(道標)」はこちら
自然石 (95x109X??p『箕面のみちしるべ』より)
N34.834508 E135.469598


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(北面)
┌―――――――――――――――┐
│    東去 平安城 十里  │
│    北去 箕面瀧 半里  │
│牧之荘            │
│    西去 池田荘 一里  │
│    南去 大坂城 五里  │
│ 親藩青木氏之采北攝牧之荘  │
│ 平尾宰寺井新十郎亜相節建  │
│ 石一基略勤里程□客□行   │
│  □維時安永八年春□五月  │
└―――――――――――――――┘
(『箕面のみちしるべ』より)


(安永八年五月1日なら、己亥年、西暦1779年6月14日、月曜日となる。)
(箕面市教育委員会の説明板に、本道標は「代官寺井新十郎の手で、安永八年(1779)に建てられた」
 とある。これは、分水石と同時に建てたことを意味しているのか、分水石の設置年だけを言っているのか
 不明。)
(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では、72
 同書に、「もとはここから数m南の用水の分岐点にあった分水石と共に、昭和五二年、…サンプラザ西口
 に移された。」とあり、又他の同名資料にもその写真(昭和50年)が載る等、移設は間違いないが、何故
 用水中に設置されていたのであろうか。本来、路上にあるべきものと思うが、地形がそれを許さ無かった
 のか。
  横に由緒ある分水石があり道標の役目も果たしており、この道標の字の小いささから、案内を重要視し
 ていない様子等、加えて明治の地図では、当所は四辻で、何処に建てても良さそうなことから、元々は分
 水石として用いていたものに、遊び心を持って、案内を彫り込み、道標の様に仕立てた。或いは、新しく
 作って、分水石(左右の配分調節)の補いとしたのではないかと考える。)
 尚、古い写真を見ると、現在の二つの石の配置は、水路中にあった頃とほぼ同じように見え、北向きに設
 置され正面から水の流れを受けていたようで、四辻の南東部分のように感じられる。)

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【1.標石を南東に望む 【2.標石を南東に望む 【3.標石を東に望む
 左プラザの入口の  左側、小さい石が道標  左道標、右が当分水石
 右、壁際に設置】  右、大きい石が当分水石】  水は北から来て東西に分流】

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【4.分水石を南に望む 【5.道標前の案内板
 此方の字も彫りが  「安永八年に建てられ…
 薄く読み難い】  本道標である」は両方共か】

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【6.箕面市の道標】
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