12.箕面市箕面6牧之荘の道標

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箕面市箕面6−3−1 みのおサンプラザ西口の南側に二基北を正面に建つ
二基の内左(東側)の小さい石が道標、「大きい標石(分水石)」はこちら
自然石 33x76X43p
N34.834508 E135.469598


小さい石(道標)
写真eimg2743

写真eimg2745

写真eimg2746

北面
┌―――――――――――――――┐
│すぐ中山           │
│ 是より二リ半        │
└―――――――――――――――┘

その他の面
┌―――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘




(安永八年五月1日なら、己亥年、西暦1779年6月14日、月曜日となる。)
(箕面市教育委員会の説明板に、本道標は「代官寺井新十郎の手で、安永八年(1779)に建てられた」とある。
 これは、分水石と同時に建てたことを意味しているのか、分水石の設置年だけを言っているのか不明。)
(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では、54
 同書に、「もとはここから数m南の用水の分岐点にあった分水石と共に、昭和五二年、…サンプラザ西口に移された。」
 とあり、又他の同名資料にもその写真(昭和50年)が載る等、移設は間違いないが、何故用水中に設置されていたのであ
 ろうか。本来、路上にあるべきものと思うが、地形がそれを許さ無かったのか。
  横に由緒ある分水石があり道標の役目も果たしており、この道標の字の小いささから、案内を重要視していない様子等、
 加えて明治の地図では、当所は四辻で、何処に建てても良さそうなことから、元々は分水石として用いていたものに、遊
 び心を持って、案内を彫り込み、道標の様に仕立てた。或いは、新しく作って、分水石(左右の配分調節)の補いとした
 のではないかと考える。)
 尚、古い写真を見ると、現在の二つの石の配置は、水路中にあった頃とほぼ同じように見え、北向きに設置され正面から
 水の流れを受けていたようで、四辻の南東部分のように感じられる。)

写真eimg2740 写真eimg2741 写真cimg3642
【1.道標を南東に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を東に望む
 左プラザの入口の  左側、小さい石が道標  左が当道標、右分水石
 右、壁際に設置】  右、大きい石が分水石】  水は北から辺り東西に分流】

写真eimg2752 写真cimg3643
【4.道標北面拡大 【5.道標前の案内板
 左側「是より二リ半」  「安永八年に建てられ…
 と読み取れる】  本道標である」は両方共か】

写真eimg2749 写真dimg2458
【6.分水石を南に望む 【7.箕面市の道標】
 此方の字も彫りが
 薄く読み難い】
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