29.池田市東山町明治の道標

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池田市東山町678 南からの道(余野街道)と東西の道が交差する四辻北西部、
地蔵堂の西(現423号線)との間に南を正面に建つ。
(寛文十年の道標北に隣接してある。)
自然石 67x南面下48x36p(67x南面上20x27p)
N34.850240 E135.435735


写真cimg4233  写真cimg4239

写真cimg4236

南面
┌――――――――――――――――――――┐
│  右 東山              │
│ 直 亀岡道              │
│  左細川神社毘沙門□         │
│   吉田陽松庵            │
└――――――――――――――――――――┘

東面
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│明治三拾四年九月再建          │
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その他の面
┌――――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
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(明治三十四年は1901年)
(『池田を歩く』市教育委員会平成16年では26)
(同書に「その頃は西に進む道があって高橋を渡り吉田陽松庵へ進む」とあり、南面して
 いたことが伺える。さて場所は此処であったか。すぐ北に建つ(再建の対象か)道標
 述べたように、四辻の北東部にあって旧と並んでいたなら、東面が隠れないよう、旧の
 東側にあったと思われる。又は、辻を挟んで、北西部(南西部でも可)に有れば問題は
 ないでしょう。東横の案内板に、北西部にあった事を示唆する絵が描かれている。)
(「細川神社」は池田市吉田町1の神社か。
 『摂津名所図会』に「細河神社」として、「吉田村慈園寺山にあり延喜式内今毘沙門天と称し
 久安寺奥院とす」との記述があり、見えない文字は「天」と思われる。)
(『摂津名所図会』は、国会図書館デジタルアーカイブ、同書[7]、14コマ参照。「陽松庵」も同左。)
(「再建」に関して、先に再建対象はすぐ北の道標としたが、昨今の再建では、通常、表記は
 同じものとし、形状も似せて作られるが、これはそうなっていない。よって元の道標が失われ
 て、再建された可能性もあるが、丸っきり北の道標では、現状にそぐわないので、再建を機に、
 表記を改めたと考えた。
 例、「かめやまみち」を「亀岡道」、「ざい所」を「東山」。再建位置に合わせて「左」を「直」
 に変えた等。)

写真dimg3279 写真dimg3280 写真dimg3282
【1.余野川高橋上から道標を 【2.道標を北に望む 【3.道標を南東に望む
 東に望む、左右がR423  手前が明治の道標  後ろカーブミラーから右が旧余野道
 青い信号機の下に道標】  左に少し見える寛文道標】  左久安寺へ、右が当道標】

写真cimg4232
【4.お堂の南壁にある案内板
 旧道北西部に赤い〇がある】

写真cimg7305
【5.池田北部の道標】

2022/10/13追記
 余野街道未踏査区間を無くすべく歩いてきた時の写真を、一部追加します。
 又、再建とほぼ同じ頃の明治の地図今昔マップ on the webを見て頂くと当辻の様子が分る。

写真iimg7305
【6.道標南面の拡大
 「 右 東山」
 「直 亀岡道」
 「 左細川神社毘沙門□」
 「 吉田陽松庵」とある】
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