36.西宮市甲山町32の新六丁丁石

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西宮市甲山町32 現在の大師道北への登り道の西側、民家北側空地の斜面に西を正面に建つ
(正面が現在の道に向いていない、九想の滝への道標より北へ40m)
角柱 68x西面15.5x15p
N34.770432 E135.335015


写真cimg5025

写真cimg5026

西面
┌─―――――――――――――――┐
│六丁              │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│ 神戸元町三丁目        │
│     伊藤キミ       │
└――――――――――――――――┘

その他の面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(門戸厄神(上ヶ原)方面からの参詣道に建つ道標に比べ新しく新十三丁丁石と類似しているので、「新」とした。)
(神呪寺参詣道は、東部、南部からの道として大きく三本、上ヶ原、六軒、獅子ヶ口があり、これは「六軒」に属す
 る。)
(上ヶ原と六軒は森林公園内(4.5丁)で合流、獅子ヶ口とは山門南(1丁)で合流する。)
(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、丁石「六丁」)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、20。
 同書に、「旧道は実はこの碑の前を南北に走っていたらしく」とあり、碑面の向きから考え、旧道は、現大師道の
 西側を通っていたと考えられ、約7m西となる。明治の地図をみても、現在の道と判別できるほどの情報もなく、
 旧道沿いに建っているとするなら、移設無としたいが、此処から本堂までは、770m(7丁)あり、6丁では、新一
 丁の丁石となり、やはり移設されていると思う。「1丁を起点とする」と表現する案内板が有る等、そこから六丁
 と勘違いし、此処に置いたとも考えられる。)
(尚、この丁石には、施主が書かれており、「元町」の成立が明治7年である為、それ以降は間違いが無く、新十三
 丁丁石と共に建てられたとなれば、大正7年以降ともなる。
  上でも述べたように、この時期の本堂の位置は、現在と同じであり、新一丁丁石がある場所ではない。もし当丁
 石の移設が無かったものなら、建設者が起点を誤解していたことになる。これは、他の丁石の位置と移設状況を見
 ることにより判断できるかも知れない。)
(他の丁石、「68.神呪寺丁石一覧」も参照下さい。)

写真dimg4744 写真dimg4738 写真dimg4741 写真dimg4743
【1.丁石を西に望む 【2.丁石を南に望む 【3.丁石を北東に望む 【4.丁石東面拡大
 桜の右に当道標  垣根の向うが  左(北)神呪寺本堂へ  「神戸元町三…
 右(北)神呪寺へ】  現大師道】  770m(7丁)程ある】  伊藤…」とある】

写真dimg3829 写真dimg3838
【5.西宮南部の道標】 【6.神呪寺丁石一覧】
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