35.西宮市甲山町32の九想滝への道標

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西宮市甲山町32 現在の大師道(北への登り道)と北西滝へのY字路の北側、民家南側垣根の中に南を正面に建つ
山型角柱 55x南面17x15.5p(頂高5p)
N34.770039 E135.334899


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南面
┌─―――――――――――――――┐
│右甲山 左たき(道)      │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│ 尼ヶ崎巽町          │
│     川村         │
│      福本        │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│       □□       │
│明治廿九正月   □      │
│       □□□      │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│(不明)            │
└――――――――――――――――┘


(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、15)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、19。( )部は同書より。
 同書に、「九想の滝」の由来は『摂津名所図会』にありとしているのみ。)
(北面に「明治廿九正月」とあり、割合新しいものである。)
(施主の住所か、「尼ヶ崎巽町」は現在の尼崎市東本町の一部の様で、左門殿川の西に辰巳八幡神社が残る。)
(『西宮の道標』に云う、国会図書館デジタルアーカイブ、『摂津名所図会』[11]、7コマ、の「摩尼山神咒寺」項に、
 「九想瀧、本堂より巽三町にあり」とはあるが、由来は載っていないと思える。)
「68.神呪寺丁石一覧」も参照下さい。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を上から
 左、滝へ  奥(北西)民家の  小さな物だが
 右、甲山へ】  庭先を滝へ】  下部が埋れている】
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【4.東横の案内板 【5.西面拡大 【6.北面下部
 こちらの由来は  「尼ヶ崎巽町…」  記銘年以下にも
 住職の話】  施主の名前か】  何か彫られている】

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【7.西宮南部の道標】 【8.神呪寺丁石一覧】


九想の滝への道標案内板
道標の東側に建つ


 九想の滝への道標

九想の滝(不動の滝)は弘法大師の「九想の詩」の由緒をもつ
ここに神呪寺住職故幸田光玄大僧上の掲示文を記す
「そもそもこの滝は不動の滝(又は九想の滝)と
称して表六甲山十六随一の滝なり、正面の
不動尊は昔役□(行か)者が孔雀明王の示現に依り
刻したもので、爪彫の不動尊と称するなり。
行者修法の舟岩及び孔雀降臨の大□□□り、
その後弘法大師人皇五十二代淳和天皇妃□(真か)井
御前(如意尼公)の願望により、如意輪観世音
尊増(像か)を刻むにあたり、この滝にて三十三
日間修法あそばされたという滝である。
諸神諸菩薩の加護多からん諸衆の念仏者よ
その妙果成就せよ。 神呪寺」
心なしか水枯れた今日ではあるが、この銘文
を心の中で静かに温めたいものである。
        甲東文化財保存会



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