65.宝塚市切畑長尾山の川西市境の道標

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川西市満願寺町13−1の南 川西市の満願寺門前南より西ふじガ丘への道から、南西に最明寺滝不動明王参道が分岐する三叉路を280m下った地点の道の西側、南を正面に建つ
(道の反対側(東側)には「不動明王」の石碑がある。)
尖頭形角柱 68x24.5x21p(頂高4p)
N34.834372 E135.389764


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写真cimg5753

南面
┌─―――――――――――――――┐
│右 満願寺多田         │
│左 たんばみち         │
└――――――――――――――――┘
(「ば」は変体仮名「者」に濁点)

東面
┌─―――――――――――――――┐
│天保六未年三月         │
│ 施主 竹縁齋北社中建之    │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(天保六年三月1日とすると、1865年3月29日日曜日となる。)
(南面の「たん者゛みち」の「者」は変体仮名「ば」で丹波道であろう。)
(『たからづかの道標』(昭和61年刊)41に、施主は竹縁斎北社中とあり、そのまま縁齋とした。竹には
 「緑、みどり」の方がよく合いそうな気がするが、見た目通り、「縁、えん」であるとした。)
(同上、「昭和49年頃に谷に落ちていたのを、…現在地に引き上げた」とあるので、移設は間違いないが、
 この地点では、分岐する道がないので、北60mの橋の架かる地点
N34.834906 E135.389778
 辺りが元の位置となるか。その地点は、川西市満願寺町13である。
 同名『たからづかの道標』昭和50年発行(上記旧版か)29に、「川添いの右と、川を渡って山添いに入
 る左とに分岐する地点にある」と書かれ写真も載っており、編集後記には、道路工事で遺失しそうな時に、
 元位置と思える地点(上記推定地点)に復旧した様に書かれている。がその後、今の位置に移設されたも
 のと思う。)

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【1.丹波道より北を望む】 【2.東面施主部拡大】 【3.南面2017年再撮影】 【4.東面再撮影】

写真dimg2258
【5.宝塚北東部の道標(明治44)】

(東隣にある不動明王参道碑は下記地図や、「bU6」参照。)
写真dimg2261
【6.宝塚不動明王参道地図(明治44年)】

【訂正 2023年8月】 字句を一部訂正します。
 南面「左 たん者みち」の変体仮名「者(は)」には濁点が付けられている為「ば」に変更する。
 『今昔マップ on the web』明治42年の地図で元位置が見える。

写真dimg3077
【7.南面下部拡大
 左「者(は)」に濁点は
 「丹波道」】
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