12.尼崎市次屋1の道標

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尼崎市次屋1丁目1−26 次屋伊邪那岐神社、社殿南側の境内社、厳島神社の南西部に西を正面に建つ
尖頭型角柱 105x23x19p(頂高5p)
N34.735159 E135.439117


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西面
┌─――――――――――――――――┐
│是より於く            │
│  大辨財天女御         │
└―――――――――――――――――┘
(「より」は変体仮名一字、「於」は変体仮名の「お」)

北面
┌─――――――――――――――――┐
│ 大願主大坂東御役所定□内    │
│御武運長久      一     │
└―――――――――――――――――┘
(『尼崎の道標を訪ね歩く』では
 「大願□大坂東御役所 土屋□□」とする。)

南面
┌─――――――――――――――――┐
│  大坂住            │
│     松本喜八郎       │
└―――――――――――――――――┘
(「松本」は『尼崎のみちしるべ』の、
 「木」の下に「ハム」で「松」に習った)

東面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘
(WEB『神戸の道しるべ』では「安永八巳亥九月九日」とある。下記参照)

(『尼崎の道標を訪ね歩く』平成27年荒木勉では14)
(弁財天が次屋伊邪那岐神社を指すものなのか不明であるが、ウィキペディアの「本地垂迹では日本神話に
 登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命と同一視される。」に従えば、以前池の中にあったとされる
 厳島神社として、この地とした。依って、今では案内先に建っていることになる。移設されたとする。)
(明治の地図によると、この神社へ続く道として北方の有馬街道間道より南下するか、西の南北の道から東
 進する道の2本しか見えない。神社案内に「次屋、浜両村により奉斎され、明治六年八月村社に」とあり
 両村とも神社の西方に位置する為、西側からの進入が一般的と考えられる。
 又、有馬道から参拝の道筋としては「13.尼崎市次屋2の道標」の元位置から南へが主の道であろうから、
 この道筋から、東方にある神社への入口として、次屋1丁目4
N34.736202 E135.437434
 辺りの三叉路からの移設としたい。
 この地点を明治の地図で確認すると、この先(東)が入り組んでおり、神社も見通せない様に見え、案内
 が無ければ、迷いそうである。三叉路南東部に西に面して置かれていたものとしたい。)
(北面の読みはあまり当てになりませんので、ご注意ください。
 『尼崎の道標を訪ね歩く』でも「大坂東御役所」としており、weblio「大坂町奉行」の項にも、「東西の
 奉行所は其れぞれ「東の御番所」「西の御番所」と呼ばれていた。」又別項、奉行の一覧では「土屋守直
 (1779年〜1783年)」ともあるので、大願主が「土屋」で、町奉行であるならば、職業柄、武運長久を願
 っても違和感はないか。
 ただ、「土屋」の読みに関しては、「土」の上にウ冠が見え、「屋」も「尸(かばね)」の「ノ」部分し
 か見えず、一番下の字も「守」ではなく「内」に見えるので、「定屋内」等の住所ではないかとし、名前
 は、その左の「一」だけが、クッキリと見える部分ではないかと思う。)
(建設年について、東面(背面)は、他の面に比べ表面が平滑にされておらず、字を彫り込み難く、紀年銘                
 は彫られていないと判断するが。
  WEB『神戸の道しるべ』では「安永八巳亥九月九日」としており、これは「13.尼崎市次屋2の道標」
 の建立年の年月と同じ月である。
 安永八年巳亥九月九日なら1779年10月18日、月曜日となり、此の頃、国内に有っては大きな戦争等は見ら
 れず、北面にある「武運長久」は何となく違和感を覚える。
  他に、『尼崎の道標を訪ね歩く』では、「13.尼崎市次屋2の道標」と同一人物の建立としており、
 こちらには、「安永八年巳亥九月大吉祥日」と明確に書かれており、WEB『神戸の道しるべ』はこれに従っ
 たものかもしれない。
  二つの道標の関連性を見ると、「13.尼崎市次屋2の道標」南面下部に、「願主大坂住…松本喜八郎」
 が見え、同一人物の可能性が高く、道標を二つ同時に建てたとしても良いと思う。
  一方、『尼崎のみちしるべ』1980年尼崎郷土史研究会では、「松本喜八郎は、同神社の燈篭に「取次」と
 して名が残る」としており、この燈篭は現在道標のすぐ前(西)に建つ二基の常夜燈の内、南側のものを
 示していると思うが、これの、竿部南面には、「安永七年戊戌九月吉祥日 取次 松本喜八郎」とあるが、
 北側の常夜燈には、「安永九年庚子五月吉祥日 取次 松本筑前」の銘もあり、此処の神社には、「松本」
 さんの寄進物が複数あることから、名前だけで、建立年を明確に決定することは難しい。)

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【1.神社を北に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を東に望む 【4.神社西鳥居から
 右石柱後ろに本殿  右側が厳島神社  右(南)が当道標  東本殿を望む
 右倉庫北に当道標】  右端狛犬右が当道標】  尖っていない頭頂部】  (北入口もある)】

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【5.北面上部 【6.北面下部 【7.南面上部 【8.南面下部
 右「…御役所」  右「…役所定□内」  「大…」  「大坂住」
 左「御武運…」とした】  左「…一」とした】  空白 とした】  「松本喜八郎」とした】

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【9.「松本」のある 【10.南側常夜燈の南面 【11.北側常夜燈の北面
 常夜燈を東に望む  「安永七年…  「安永九年…
 右燈篭の右が当道標】  松本喜八郎」とある】  松本筑前」とある】

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【12.13.次屋2の道標を北西に望む 【13.同左道標の南面下部
 同時建立か、写真左面に  左端の「松本喜八郎」
 「左…辨財天女…南三丁」】  当施主と同一人物か】

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【14.尼崎の道標】
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