8.大阪市淀川区西中島1の道標

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大阪市淀川区西中島1−8−28 北からの細い道が堤防に突き当り東へ折れて上る角の北西に南を正面に建つ
(新御堂と東海道線の間の北岸堤防下道路の更に下、マンション南東部の塀に囲まれた堂の中にある。)
頭丸型角柱 64x21x19p(頂高3p)(可視部高34p)
N34.723795 E135.501266


写真cimg6402

写真cimg6403

写真cimg6404

南面
┌─――――――――――――――┐
│(馬頭観音像)右 かち(をじ)│
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│ 左 中(山 池田)     │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

北面(写真無)
┌─――――――――――――――┐
│(不明)           │
└―――――――――――――――┘


(( )部は過去のWebより)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には未記載)
(南面、馬頭観音像は推測である。これがある御陰か保存されているが、本来の道標部分が隠されて残念な気がする。
 下にも書くが、本来は観音参詣の為の道標が第一でこれ自体は信仰対象ではないと思うものである。祠内にある為
 か油煙にまみれて真っ黒である。祠内に置かれてからの時間が長いのであろう。)
(元位置を推測すると、明治の地図でもほぼ今と同じ状況と思われ、堤防上の道から北へ川口の村へ分岐する三ツ辻
 を成している様で、元は堤防上の辻北部にあったと思う。そうすると「左中山」は堤防上の道を西に進み木川から
 能勢街道に入り北上する経路を示し案内に不都合はない。)
(雰囲気が「吹田市江坂町3丁目の道標」に似ており、
 「右」の書き方と、当道標の幅が2p程広い事等少し異なるが、北向きに道なりに進めば辿り着く道標である為、
 何らかの関係があるかもしれない。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を北に望む
 住居表示の後ろ  祠の中に座像のみ  土手の道より
 奥に新淀川大橋】  見える様に置く】  奥(北)村中へ】

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【4.道標を南面上部拡大 【5.道標南面中部拡大 【6.道標南面下部拡大
 頭丸型としたが  案内が見えないよう  下をのぞき込むと
 稜線があるかも】  にか板が立てられる】  「かち…」迄は見える】

写真himg2683 写真himg2673 写真cimg1007
【7.道標西面中部拡大 【8.道標を北東に望む 【9.似ている気がする
 案内部を隠す板  元位置は右上の  江坂町3の道標
 「左…」と読める】  堤防上の三ツ辻か】  「…かち」等は似る】

写真himg2311
【10.大阪市淀川区の道標】
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