7.大阪市淀川区宮原1の道標

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大阪市淀川区宮原1−16−16 コの字型路地の東西の道の北側に南を正面に建つ
JR東淀川駅の南を通る府道134号を踏切から西に200mの四辻を南へ70m、道路の東に突き当りとなる細い道へ入り20m、道路の北、民家の南西角。)
尖頭型角柱 106x23x22.5p(頂高6p)
N34.73747 E135.501136


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南面
┌─――――――――――――――┐
│  ミの かちを寺      │
│左 中山         道 │
│  池田 伊丹        │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│明治四辛未四月建       │
│         何某    │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│右 大坂 道         │
└―――――――――――――――┘


(明治四(辛未)年四月1日とすると、西暦1871年5月19日金曜日となる。(旧暦は5年7月まで))
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には未記載)
(明治の地図では淀川北岸から南方、山口、南宮原を経た道が北にクランク状に折れる三叉路、逆T字型の道が確認
 できる。南からの道は、今では無くなっているが、一筋南の道迄は旧道が残る。この地点から北へも暫く旧道は消
 えているが東三国4丁目4辺りから、神崎川の榎木橋手前あたりまでは、ほぼ明治の道を辿ることが出来る。
 一見何の必要性もないこの位置に建っている事こそ、旧道の元位置を示すものと思われる。
  南面の行先「箕面、中山、池田、勝尾寺、伊丹」はここでは全て北への道を示して可である。伊丹、中山に関し
 ては、蒲田から三国へ分岐するか、十八条から豊中の「小曽根(目いぼ)の渡し」等も考えられる。
  尚、明治の蒲田街道はこの道筋ではなく400m程東の方を通過している。)
(東面の施主「何某」という表現は余り見かけないが、「神戸市長尾町赤松峠の道祖神道標」に見られる。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を西に望む
 奥は進めず大坂へ  昔は突当りを右へ  左側今は民家で
 は右折していたか】  折れ階段状に進む】  で道が無い】

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【4.道標西面拡大 【5.道標南面拡大 【6.道標東面上部
 「右大坂道」は  「左…」箕面と  「明治四辛未四月」
 南方から淀川へ】  勝尾寺は別か】  と読める】

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【7.道標南面上部 【8.道標南面下部 【9.道標東面下部
 「ミの」は  「かちを寺」は  「何某」とは
 「箕面」であろう】  「勝尾寺」とした】  まれな表現】

写真himg2315
【10.大阪市東淀川区の道標】
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