32.西宮市甲陽園日之出町2の新十三丁丁石

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西宮市甲陽園日之出町2−59 南北の甲山大師道の西側に、東を正面に建つ。
(西宮新甲陽郵便局のある五叉路?を北西に200m上った辺り)
角柱 73x東面15.5x13p
N34.761694 E135.335088


写真cimg9091

写真dimg4892

東面
┌─―――――――――――――――┐
│十三丁             │
└――――――――――――――――┘

その他の面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(西宮市仁川百合野町3の梵字の書かれた一三丁丁石に比べ新しそうなので、「新」とした。)
(明治時代の地図には、この地点に道は描かれていないが、東150mに六軒からの南北の道がある。)
(昭和七年地図には、ほぼ現在の道が描かれている。)
(神呪寺参詣道は、東部、南部からの道として大きく三本、上ヶ原、六軒、獅子ヶ口があり、上ヶ原と六軒
 は森林公園内(4.5丁)で合流、獅子ヶ口とは山門南(1丁)で合流する。ここは六軒からの道となる。)
(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、丁石「十三丁」(2ヶ所ある内の南))
(丁石の立つこの道は、甲陽園の開発が大正七年に始まり、この時に造られた物ではないかと思う。理由は、
 明治44年地図になく、昭和7年地図に載る、よってこの間であろうとした。この推測で、大正七年以降の建立
 であろうとする。距離を見ると、現大師道を進み、山門東で、道を外れ、山門経由で1.9q(17.4丁)となり
 整合しない。又、甲陽園山王町1の西側道標の有る交差点から、左(西)への道を進んでも1.8q(16.5丁)
 程度となり、これも合わない。依って移設されたものとしたいが、『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊の、
 15に「十四丁」(現在不明)があり、それが、この南1丁に符合し、移設説を弱めるかもしれない。
(他の丁石、「68.神呪寺丁石一覧」も参照下さい。)

写真dimg4889 写真dimg4891 写真dimg4895 写真cimg9092
【1.丁石を北に望む 【2.丁石を南に望む 【3.現甲山大師道 【4.丁石前より南を望む
 奥(北)甲陽園山王町1  左奥新甲陽郵便局の  甲陽園山王町1交差点を  奥、道が左へ曲がる辺りに
 交差点経由、神呪寺へ】  五辻の交差点へ】  北に望む、左が少し近い】  14丁石があたのか】

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【5.西宮南部の道標】 【6.神呪寺丁石一覧】
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