54.宝塚市山本台1正念寺墓地の道標

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宝塚市山本台1丁目1−16 正念寺墓地内に地蔵尊像の台石として東を正面に建つ
(本堂の南西部、台石は二段になっており、下から二段目。判読はかなり難儀。)
地蔵尊台石 30x東面27x26p
N34.821529 E135.379790


写真cimg9164  写真dimg1801

写真dimg1798

写真dimg1799

写真dimg1800

台石部
東面
┌─―――――――――――――――┐
│ 延享四丁卯十二月十日     │
│ 如月ちみやう信女       │
│ 左中山是よ里(六丁)     │
└――――――――――――――――┘
(「丁卯」は「四」の右下左右に書く)
(( )部は『たからづかの道標』より)

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(延享四(丁卯)年十二月十日は、1748年1月10日水曜日となる。)
(( )部は『たからづかの道標』(昭和61年刊)より)
(『たからづかの道標』(昭和61年刊)49では、
 「今は正念寺墓地に移されているが、もとは、中山寺より六丁の地点すなわち天神川
 右岸の巡礼街道沿いにたっていたのであろ。」としている。又、写真より、正念寺内
 でも、昭和61年当時と位置が変わっており、
 同じく、正念寺東門にある「bQ9.山本台1の道標」も移設されていると思われる。)
(東面の左下「六丁」とされる部分の拡大写真を挙げておく。)

写真dimg1812 写真cimg9167 写真dimg1809
【1.正念寺入口より西を望む 【2.地蔵尊像を西に望む 【3.東面「六丁」部拡大
 本堂の右から二つ目の雨樋の  地蔵のすぐ下の台石】  かなり摩滅しており
 コーヒーカップ状の雨受けの後ろに  
 判読は難しい】
 見える地蔵像の台石にある】

写真dimg2119 写真dimg0759
【4.宝塚西部の道標(明治44年)】 【5.宝塚東部の道標(明治44年)】

写真dimg2112
【6.宝塚南部近世の街道】

【訂正、追記 2023年9月】
 東面、再度読み下しに挑戦し、変更しました。
 年号は「延享」と読め四(年)の右下に「丁卯(ひのとう)」と横書されている。
 戒名と思われる「如月」の下を「志やふ」とせず「ちみやう」とした、「み」は
 小さく書かれているので無いとすべきかも知れない。この様に読むと、名前的に
 馴染まないので「おみやう」、「月ちやう」等とすべきかも知れない。
  尚、左端「是よ里」の下はやはり読めない「六」の上部が見えると言われれば
 その様にも感じるが不明としておきます。少し手を加えた写真を添えます。

写真jimg4842 写真jimg4843
【7.道標東面左端拡大 【8.道標東面右部拡大
 「左中山是よ里…」  「延享四」の右に「丁卯」
 と読めるが  「如月ちみやう…」とした
 「六」は見えない】  「み」小さく「や」は大きい】

 旧:(延)享四(卯)十二月十日
    如月(志)やふ信女
    左中山是よ里(六丁)
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