29.宝塚市山本台1の道標

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宝塚市山本台1丁目1−16 東西の巡礼道と南北の道が交差する四辻の北西部に東を正面に建つ(正念寺門前東部)
尖頭形角柱 75x南面18x16.5p(頂高5p)
N34.821520 E135.380198


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東面
┌─――――――――――――――┐
│みぎ常念佛道         │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│ 右ハ山本常念佛寺之道    │
│南無大慈大悲観世音菩薩    │
│ 左ハ中山道是ヨリ五丁アリ  │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│すぐ中山道          │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│ 施主池田之住(坂上氏)   │
└―――――――――――――――┘


(( )部は『たからづかの道標』より)
(『たからづかの道標』(昭和61年刊)48では、
 「明治初年、この地へ正念寺が移築され常念仏寺と合体し正念寺となっている。
 もとの道標は現在位置より南にあったもので、この正念寺東門前に移され…」とあり
 移設されている。
 又、北面の「左ハ中山道是ヨリ五丁アリ」を「一リ」としている。)
(東面と南面の指示が、「みぎ」と「すぐ」のように、濁点で表記されているのは珍しい。)
(元位置を考える上で、先ず上記距離を一里とするか、五丁とするか、現在の写真を見る限り
 「五丁」が改竄されたとは思えないので、5丁(490〜599m)とする。
 常念佛寺が何処にあったか、であるが、正念寺が移築されとあるので、現在地が常念佛寺
 であったとする。
 「中山道是ヨリ五丁」が中山道までが5丁なのか、中山寺迄5丁なのか、が問題となる。
 南面、「すぐ中山道」からすると、中山道上で、北に向かうことを示すが、
 北面、「左ハ中山…」からすると、東に進むことを示し、四辻では無いかも知れない、
 或いは、「異なる中山道」かも知れない、等も頭に入れておく必要がある。
  常念寺と合体とあるので、正念寺の本尊と同じ「阿弥陀如来」とすれば、西面の「観世音菩薩」
 の銘は、施主の宗旨を示すだけで、観世音菩薩を本尊とする中山寺を直接示すものでないとし、
 中山道に出るまで5丁とする。
 又、南面「すぐ中山道」も、中山道に出るには直進する、の意味と捉える。
 この近辺で「中山道」は「巡礼道」と考えるのが一般的である。
  現在の道標から南460mの天神川堤防上、堤防上の道(南東から北西)と正念寺への道の四辻
N34.817632 E135.381613
 辺りの辻の北西部に、135度回転して置けば、現在の北面は南東面し、案内は相応しくなり、現東面
 も北への道(常念佛道)が「右側にある」と解釈すれば、ほぼ納得だが、現南面の指す「すぐ」が
 南を指し、巡礼道へは行けない(天神川を渡る)。
 伊丹市立博物館が名付けた「中山道(荒牧から中筋)」へは行ける。
  或いはその北100m、176号山本中2丁目交差点でも、状況はほぼ同じである。
N34.818516 E135.381577
 辺り。)
(下手な解釈をせず、「移設時に、現東面と西面を追刻し、北面の案内(方向)を無視した。」と考え
 れば良いのかもしれない。根拠として、文字の大きさ、現東西の面が南北の面に対して狭い等。)

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【1.巡礼道より西を望む 【2.巡礼道より北を望む
 門左に道標  左右が巡礼道】
 奥、中山寺へ】

写真dimg1788 写真dimg1787 写真dimg1785
【3.濁点表記 【4.濁点表記 【5.「…ヨリ五丁アリ」の
 東面「みぎ」の拡大】  南面「すぐ」の拡大】  部分を拡大】


写真dimg0759 写真dimg1705 写真cimg0718
【6.宝塚東部の道標(明治44年)】 【7.元位置候補の一つ 【8.伊丹博物館
 
 天神川左岸堤防上より北西を望む  の街道】
 
 川沿いを奥へ5丁で巡礼道に合流
 
 左荒牧(南)、右正念寺方面】

【訂正 2023年9月】 追刻部の誤記を訂正し、元位置再考。
 誤:「移設時に、現東面と西面を追刻し」の西面は「南面」の誤り。
 正:「移設時に、現東面と南面を追刻し」
 元位置の再考。
 上記の元位置に関する論法は一度白紙に戻します。次からの文に差し替えるとします。
(元位置に関して、複数回の移設があったと思われ、一番最初の位置を考えるとします。この時、
 現在の東面と南面は彫られていなかったとします。つまり案内は北面だけにあった事になり、
 「右、常念佛寺」「左、中山寺五丁」を満足する位置を探すことにします。又、「中山道」は
 街道名では無いが「中山寺」に向かう道とし、「五丁(545m)」は道標の常として少な目に書
 かれている可能性もあるとします。更に、道標を置く必要性を考えると人通りの多い道であっ
 たとする条件を追加します。
 これらを満足する辻は『今昔マップ on the web』明治42年測図の地図から一ヶ所
 宝塚市山本西2丁目5の北東角、阪急宮ノ前東踏切の四辻
N34.820805 E135.380581
 しか見当たりません。
 ここから中山寺門前迄1.26q(11.5丁)ですが、「中筋山手4の道標」のある巡礼道とされる
 五つ辻迄なら560m(5.1丁)となります。
  距離の点から「左ハ中山道…五丁…」はこの五つ辻を指すとして良いでしょう。皆さんの
 判断にお任せします。この様に近世の道標にあって、道を案内するものは少ないですが、皆
 無では無く、その例を幾つか挙げておきます。
 1.神戸市灘区備後町1の道標       「左ハ本可いど」
 距離と共に場所を示すもの、
 2.宝塚市小林1地蔵堂北の道標      「是より一丁余西山手…西宮ぬけ道」
 抜道、わけ道として示されるもの、
 3.宝塚市中山寺山門前(西側)の道標   「西宮大坂通ぬけ」
 4.宝塚市中山寺山門前(東側)の道標   「清水江通りぬけち可道あり」
 5.伊丹市寺本二丁目嘉永五年常夜燈型道標 「西の宮通り/ぬけ道あり」
 6.宝塚市売布3(大)北側の道標     「くわう志゛ん道わけあり」
 近道とするもの
 4.宝塚市中山寺山門前(東側)の道標   「清水江通りぬけち可道あり」
 7.尼崎市食満6の題目塔道標       「寺より□□□ちかミち」
 等です。
 ただ、『たからづかの道標』の言う施主に「坂上氏」があれば、近世の作でなく、明治の建
 立とも考えられる。)
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