14.神戸市灘区備後町1の道標

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神戸市灘区備後町1丁目 成徳小学校の南東角、成徳公園東端に南東を正面に建つ
(成徳小学校の南に公園への入口階段がある)
自然石 100x52x55p
N34.714961 E135.242993


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南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│右ハありま             │
│すぐまや山 道           │
│左ハ本可いど            │
└――――――――――――――――――┘
(「可」は「か」、「本街道」であろう)

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│すぐ                │
│ 住吉               │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には未記載)
(さて、この近辺を明治の地図で見ると、辻どころか道もない。昭和十年になって初めて学校や周囲の道が見えだす。
 「左ハ本かいど」を「本街道」西国街道として古い(明治以前)と捉えるか、地名でなく街道名を案内する点で新
 しいものとするかにより元位置は大きく変わりそうである。案内を素直に受け取ると、住吉から摩耶山へ向う道か
 ら、右有馬に向かう道の分岐点とできるので、少し遠いが八幡の村中辺りではないか。近世に有って「本街道」な
 る表現を見たことが無いので、割と新しいものとして大正12年測量の地図から、灘区八幡町3丁目1−1
N34.717694 E135.236846
 辺りの四辻を挙げるが、直線でも600m以上離れており、学校へ移設するにしても他に近い所があり根拠は薄弱で
 あるが、この地は南北に新在家から北区の唐櫃を結ぶ道と東西の阪口石屋川線(水道橋筋)の交点で、すぐ西には
 「八幡町3南福寺地蔵の道標」がある。
  尚、大正以前ならその北20mの「八幡町3の道標」が建つ五つ辻に成ろう。三方向を一面に書くのはこの様な
 辻の形状を暗示する。)

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【1.成徳公園入口を 【2.道標を南東に望む 【3.道標を北西に望む
 東に望む、階段を  奥下辻に備後橋  奥、成徳小学校
 登り東端に当道標】  中央が当道標】  道標南東面が見える】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南東面拡大 【6.道標北西面拡大
 遣水を背に建つ  「右、すぐ、左」と  「すぐ住よし」と
 東に高羽川がある】  三方向を一面に書く】  読める】

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【7.神戸市東部の道標】
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