21.宝塚市売布3(大)北側の道標

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宝塚市売布3丁目15−24 南西−北東の巡礼道から北に売布神社への参詣道(清荒神への抜け道)が分岐する三叉路の西部に東を正面に二基建つ
2基目の内、北側大きな道標
頭丸形角柱 113×30×30p
N34.8164428 E135.360486


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東面
┌─――――――――――――――┐
│日本             │
│  清荒神 霊社       │
│第一             │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│これよ里にしへきよし     │
│くわう志゛ん道わけあり    │
└―――――――――――――――┘
(「わ」は変体仮名「王」、「志゛」は一字「じ」)

北面
┌─――――――――――――――┐
│   大坂住         │
│施主             │
│      橘徳兵衛     │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│     清澄寺政尊代    │
└―――――――――――――――┘


(『たからづかの道標』(昭和61年刊)55では、
 「くわう志゛ん道わけあり」を
 「くわう志゛ん道けあり」としている。
 「道わけ」は「分岐」、「道ぬけ」は「抜道」であろうか。
 抜道の表現としては、
1.宝塚市中山寺山門前の道標(東側)小さい方    「清水江通りぬけち可道在り」
2.宝塚市小林1地蔵堂北の道標              「但し西宮ぬけ道阿里」
3.伊丹市寺本二丁目嘉永五年常夜燈型道標      「西宮大坂通ぬけ」
 等があり、「道わけ」は見当たらない。
  確かに、現在地点に立っていたなら、巡礼道を西(直)進し、六軒茶屋で有馬道に出て、
 阪急清荒神駅からの参道を登るよりも、此処で北に折れて売布神社前を通る方が近道ではある。
 しかし清荒神へ、徒歩で参るならむしろ北へ折れる道が本道であり、「抜道」では無い。
  そこで少し視点を変え、現地より少し東に有って、「清荒神への道はこの先(西)で分岐しますよ」
 とする案内であったとするのはどうでしょうか。
 (南面の現代読み=「此処より西に、清荒神への分岐点あり」とした。)
 実際に曲がる地点には、小道標が立っており、この道標が東に移動しても不便はかけない。
 よって移設の可能性があるとする。
 元位置は東30m常夜燈が二基建つ辻
N34.816593 E135.360751
 の北西部辺りか。)
(西面、「清澄寺」は清荒神のこと、正式には「真言三宝宗 清荒神 清澄寺」とある。(ホームページより))

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【1.巡礼道より北を望む 【2.巡礼道より東を望む 【3.道標より東30mの辻
 奥左が売布神社鳥居を  左(北)側が当道標  を北から見る。元位置か
 経由し清荒神への道  右奥の交差点が右の  左右の常夜燈(明治時代建立)
 30m北カーブミラーで西折れし、  写真3】  は売布神社のものと思われる】
 先は小学校と中国自動車道
 で途切れる】

写真dimg0759
【4.宝塚東部の道標(明治44年)】
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