26.宝塚市中山寺山門前(西側)の道標

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宝塚市中山寺2丁目6の中山寺山門前の道の南部に北を正面に二基が建つ
右(西側)大きい方
尖頭形角柱 213x39x39p
N34.8201969 E135.3686157


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北面
┌─――――――――――――――――┐
│日本      十二丁      │
│   清荒神王道         │
│第一               │
└―――――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――――┐
│有馬清水小濱           │
│    江戸深川講中       │
│西宮大坂通ぬけ          │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――――┐
│            京池田  │
│天保十二年辛丑三月すぐ      │
│            伊丹   │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(天保十二年三月一日なら1841年4月21日水曜日となる。)
(『たからづかの道標』(昭和61年刊)52では。西面の右側、「西宮清水小濱」と
 しているが、「有馬清水小濱」とすべきであろう。)

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【1.西面「有馬」部分の拡大】 【2.南面下部の拡大】

(南面の「すぐ京池田/伊丹」からすると、これが西面であったと思われる。
 すると、北面が東面になり、清荒神の東12丁(既に参道か)にあった事になる。
 又、西面が北面になり、「有馬・清水・小濱」へは、方向が書かれていないが
 真っすぐだとみなし、南方の巡礼道へ出て、西の有馬、清水、へ進むことが出来、
 小浜へは同じく西へ進んだのち、南へ分岐し、米谷、小浜と繋がる。
 よって、巡礼道の北にあったと考え、現在の売布神社の鳥居の南にあった辻辺り
N34.816045 E135.358956
 が有望ではないか。
「清荒神王道」を現在の参道までと捉えるなら、もう少し東となる。)
(しかし、何れにしても、「西宮大坂通ぬけ」は疑問が残る。
 そこで、西宮−大坂通(どおり)」と解釈し、西宮と大阪を結ぶ、「中国街道」
 に繋がる道と解釈すべきかもしれない。
 そうなればここでは、小濱、伊孑志、小林を通る西宮道を指すのか。)

(抜道、わけ道の表現としては、
1.宝塚市中山寺山門前(西側)の道標(この道標) 「西宮大坂通ぬけ」
2.宝塚市中山寺山門前(東側)の道標       「清水江通りぬけち可道あり」
3.宝塚市小林1地蔵堂北の道標           「但し西宮ぬけ道阿里」
4.伊丹市寺本二丁目嘉永五年常夜燈型道標   「西の宮通り/ぬけ道あり」
5.宝塚市売布3(大)北側の道標           「くわう志゛ん道わけあり」
 等がある。)

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【3.山門を背に南東を望む 【4.元位置かもしれない
 右側の道標、東西は巡礼道  売布神社鳥居前】
 左山本、右清荒神、有馬道へ】

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【5.宝塚東部の道標(明治44年)】 【6.宝塚南部の街道】
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